Long Story

ハートの欠片 No.18

「俺も、お前は嫌いだよ」
 おびただしい量の蝶が舞う光景は圧巻。数時間前に見た花火に匹敵するほど幻想的だった。鱗粉を撒き散らし、狙うは怠惰。でも怠惰は揺るがない。
 彼女が空中をひと撫ですると金色の霧が空間の切れ目から噴き出し、衝突した蝶たちを丸飲みする。彼女自身まで隠しながら、霧は急速に膨れ上がって行く。
 十六夜が警戒して駆け出した矢先、霧を破って怠惰が現れる。十六夜の頬に向かって腕を突き出したけれど、彼は杖で受け止めた。
「私たち同じ気持ちじゃない。ある意味両想いね。もう少し嬉しい顔したらどうなの」
 キスしそうなほど近くまで顔を寄せる。彼女の目には十六夜しか見えていないようだ。
「お前、一体俺をどうしたいんだ」
 杖を握る怠惰の力が強いのか、十六夜の腕は震えていた。
「あら。ずいぶん説明してきたつもりだけど……叡智なのに意味が理解できなかったのかしら」
 怠惰の手から闇が滴る。指の間からミミズのように這い出すそれは、否応無しに不快感を呼び起こす。杖を這い回り、覆っていく。
「そういう意味じゃない」
 十六夜の指に触れる寸前、彼は手を離す。杖は一瞬で黒く、禍々しい色に染まった。奪われた杖は十六夜の首元を狙うけれど、間一髪。十六夜の腕によって遮られた。
「アンタがいなくなったら、私もただじゃ済まされないってこと?」
「理解した上で、か」
 会話をしながらも十六夜は隙を見て足を蹴り上げ、
「侮辱する気? そのくらい理解していて当然のこと、でしょう」
 彼女は見事な跳躍でかわして距離を置き、すぐさま体勢を立て直して踏み込む。かかとを鳴らして地面を蹴り、闇の杖を繰り出した。迎えるは鈍く光る銀の杖。
 鈴の音と聞き間違うクリアな音が交錯――乱れた怠惰の髪が、ふわりと体に戻った。
 十六夜が押されている。しかも、確実に。
 嫌な汗が流れた。激突する力同士との距離は、たった数歩。だけど、あたしの元に攻撃は届かない。守ることに最適化した十六夜の意志が、そうさせるのだろう。
 自分が離れれば十六夜は存分に動けるかもしれない。そう考え、怠惰に気づかれないよう注意を払って体を動かす。邪魔にならない位置に行こうと少しずつ移動した、その瞬間。見向きもしなかった怠惰の瞳が、あたしを捕らえる。深紅の唇でニヤリと笑い舌なめずりをした。それが、目の奥に焼きつく。
 ぞっとして漏れてしまった、脅えた声。聞きつけた十六夜の肩がピクリと跳ねる。
 一瞬。ほんの一瞬の揺らぎを怠惰は逃さなかった。
 衝撃音が体を貫き、目の前の背中が消える。届いたうめき声と残像を追うと、ベンチに崩れた十六夜の姿があった。
「十六夜!」
 悲鳴が喉を突き破る。
 傍らに立つのは怠惰。彼女の握る杖は黒に覆われたまま赤く発光する。その光に、狂気に満ちた顔が照らし出された。
「アンタが消えてくれるなら、自分なんてどうでもいいの。だから大人しく消えて頂戴、叡智」 
 杖を振り上げる。十六夜はうずくまったまま。
 どくん、と胸が震えた。このままじゃ十六夜が!
「十六夜!」
 再度名を叫び、駆け出した。十六夜の使命も願いも置き去りにして、無我夢中にただ走る。
 茶色い目が大きく見開き、足音を見つけた瞬間。あたしは彼に覆い被さった。杖の攻撃がくるだろう、その位置へ。
 ごめん、あたし十六夜を助けたいけど、こんな方法しか思いつかない。
 固く目をつぶり、訪れるだろう背中の痛みを覚悟した。それは、体中の神経が背中に集まっているような錯覚を起こすほどで。カタカタと、奥歯が鳴っているのにさえ全く気づかなかった。
「萱」
 激痛が走るはずの背中に温かさが触れる。
 ――え?
「痛く、ない」
 そんなはずはない。あの怠惰が、あたしが庇ったから攻撃をしてこないなんて、考えられない。
 彼の体に埋めた顔を恐る恐る上げる。ぼやけて焦点が定まらない。けれど。
 異常な事態が起こっていることだけは把握できた。
「何これ」
 自分の腕が淡い光に包まれている。蛍の光によく似た、息を吹きかければ瞬く間に消えそうな光の玉の密集体。奥にある肌の中からにじみ出て、ゆったりと浮かぶ。ふわり、ふわり。穏やかに上空へ流れ、そして消えて行く。 
「これは……光の花!」
 噴水の側から歓喜の声が届いた。十六夜に支えられて上体を起こし、声の主に視線を這わせる。邪羅さんが口を大きく開けて震えていた。
「素晴らしい。どれほど待ちわびたか、どれほど願ってきたか……!」
 あたしの全身から溢れる光を、邪羅さんは恍惚とした面持ちで眺めた。頼りなく浮遊する光を指で摘もうとしたけれど、光は指をすり抜ける。どんどん湧き出る光に手のひらをかざし、彼の体をすり抜ける様を楽しんでいるように見える。
 呼びかけても反応しない。彼の目には、あたしも十六夜も映っていないんじゃないか、そう思うほうが自然な気がする。それほど魅入っている。
 いつもの冷静さが完全に失われていた。
「光の、花」
 小さな光を光の花と呼んだ。自分の体から出ているのだから、どう考えてもハートに関係しているのだろうけど、それにしては様子がおかしい。困惑しているのは十六夜も同じなのか、邪羅さんを見る表情は厳しい。かける言葉を探しているのかもしれないけど、結局、凝視するだけに留まった。

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