Long Story

ハートの欠片 No.2

 十六夜は語る。
 物質なら作り出される物があれば壊れる物もあり、力なら増加する力があれば減少する力もある。世界に存在するものは全て、安定を保つように作られているらしい。
 感情にも同じルールがあって、希望・愛好・調和といったプラス思考の感情と、絶望・嫌悪・復讐といったマイナス思考の感情が、体内で同時に存在することで人というのは平穏を維持できるそうだ。
 言われてみれば、不安に押しつぶされそうな時は体が気持ちに反応して呼吸が荒くなったりする。それは平穏じゃない証拠。逆に、イベント前夜で興奮している時は、夜も眠れないなんてこともある。これも平穏じゃない証拠だろう。
 世界は絶妙なバランスがあるから存続している。十六夜たちは、世界のバランスが極端に崩れないように管理しているそうだ。
「正の感情のうち、俺は叡智……つまり『学びたい』という感情を担当している」
 十六夜は声のトーンを落として言った。丁寧な語り口で、あたしが理解できるように気を遣ってくれているのがひしひしと伝わる。胸に浸透する言葉を噛み締めながら、あたしは失礼なことを考えていた。
 この十六夜が『学びたい』という感情の長。数学のテストであたしと似たような点数を取るのに、長。
 釈然とせずに首を傾げる。どちらかと言えば頭の良い邪羅さんの方が適任だと思う。
 あたしの様子を感じ取ったらしい長は、同じ方向に首を曲げてきた。
「俺が叡智じゃ不満?」 
「不満と言うか……似合わないと言うか」
 正直に話すと、十六夜は明るく笑い飛ばした。
「はっきり言うねぇ。情けないことに俺自身もわかってるから、その気持ちは認める。ま、担当者の性格が担当内容と合ってないこともあるってことで了承してください。今んとこ不都合も起きてないしね」
 聞くと、怠惰は十六夜の真反対に位置する負の感情を担当しているらしい。名前の通り『怠けたい』という気持ちを束ねているそうだ。感情の源は同じで、正に傾けば『学びたい・知りたい』というプラス思考になり、負に傾けば『怠けたい・知りたくない』というマイナス思考になる。十六夜と怠惰のふたりで感情を支えていると言っても過言じゃない、と十六夜は言う。
「だから、どんだけ嫌いでも憎くても、相手を倒すことは禁じられている」
「それなのに、怠惰は十六夜に敵対心を持ってるの?」
「らしいな」
 ガラステーブルの下に視線を落とす。透き通った向こうには、あぐらをかいた十六夜の膝と、何かごちゃごちゃと入っているコンビニ袋。そのふたつをぼんやりと眺めていると、タブーの話が気になってきた。
「じゃあさ……もしも怠惰が倒れちゃったらどうなるの? 十六夜ひとりで支えるってこと?」
「前例はないけど、恐らくそうなるだろうな。あいつが倒れたら俺自身どうなるかわからん」
 十六夜はコンビニ袋から新しいペットボトルを取り出す。なんと麦茶だった。個人的に期待はずれだったけれど、十六夜だって甘くないものを飲む権利があるのだし、気にせず続きを促した。
「それで、邪羅さんは何を受け持ってるの?」
「あいつは……『秩序』だ。世界の理《ことわり》――つまり、ルールや統率・統一といった感情の担当をしている」
「おぉ、それっぽい」
 適正を通り越して最適な人選。誰も異論なんてないと思う。頭に現れた灰色の制服が、ポンと浮かんでは消えていった。
「だからか、数学とか物理に詳しいのは」
 世界のルールに通じてるからこそ、あたしみたいな底辺レベル相手にも的確な指導ができるんだ。
「例えるなら、あいつは超理系。俺は超文系。学びたいって気持ちは記憶することと直結するからな。だから俺は、社会とか国語が得意」
「もしかして……十六夜が記憶を操作できるのって」
 自分の能力を忘れていたらしい。十六夜はぽん、と手を叩いて大げさに頷いた。
「そうそう。言い換えれば、俺は記憶を管理しているってことだからな。人の記憶を変えられるんだ」
 ――ここにきて、ありとあらゆる出来事がすっきりと整理されていった。世界の形に十六夜の正体、十六夜の力。パズルのピースが次々と埋まっていく感触を覚え、少しくだらないことを聞きたくなった。
 ガラステーブルに身を乗り出して、真正面の顔を覗き込む。麦茶を飲もうとした手を止め、十六夜はぱちぱちと瞬いた。
「ねぇねぇ。ここに来る前、十六夜は思念の領域にいたんだよね」
「うん」
「ってことは、その体ってどうなってるの?」
 十六夜の話と邪羅さんの話を整合すると、物と感情は独立しているから十六夜のいた場所に物は存在しないはず。他人の体を間借りする、なんて物語を聞いたこともあるけれど十六夜もその一種なんだろうか。
 過去に読んだファンタジー漫画を思い返していたら、十六夜はペットボトルを机に置いて両手を突き出してきた。目と鼻の先で、手を閉じたり開いたりしている。
「アバターってわかる?」
「あれかな? 顔とか髪型を自由に決められるゲームサイトのやつ」
「それそれ。この体はアバターだと思ってくれればいい。俺たちは幽霊みたいなもんだから、体がないわけ。だから人として動ける体を作ったんだ」
 邪羅さんとハートの中に入った時、似たような話をしていた。魂だけだから物の制約から外れる、だから瞬間移動ができるんだ、と。あの空間で彼らが自由に動けるのは、彼ら本体が物に依存していないからだと思う。人間は精神と器が切っても切り離せないけれど、彼らは精神と体が分かれきっているのだろう。
「アバターってことは、自分の好きな姿を作れるの?」
「うん。顔から体まで俺の好みに仕上げたよ。いくら仕事でここに来ているとは言え、それぐらい遊んだって良いだろ」
 十六夜は自分の両頬を人差し指で突く。無意味にニカーッと笑ってきた。
 言われてみれば、十六夜も邪羅さんも怠惰も、整った顔をしている。何よりも魁。あの人の顔は人間離れしていて気味悪いくらいの美形だ。

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