Long Story

ハートの欠片 No.25

 詰まる息の隙間を縫って、同じ名前が次々と溢れる。向ける相手は地面に横たわり、まぶたを固く閉じていた。繰り返し呼んでも返事は戻らず、繰り返せば繰り返すほど認めたくない現実を突きつけられた。
 お腹の底から冷たい孤独がせり上がる。考えたくないのに、動かない頬を見ていると最悪のケースが徐々に頭を蝕んだ。
 何、これ。
 温もりを求めて一歩踏み出すと、力が入らずにバランスを崩してしまった。倒れ込んだ先は十六夜の胸。大きな衝撃に体は一瞬反応を見せたけれど、あたしが望む反応じゃなかった。
 嘘、でしょ。
「起きてよ……ねぇ、起きて」
 肩を鷲掴みにして体を強く揺さぶる。ぴくりともしない。
「やだ……こんなのやだよ!」
 手に入る力がどんどん強くなっていく。だけど、こんな馬鹿げた状況から覚めたくて、どうしても止めるわけにはいかなかった。
 その手で、その口で抗議してほしくて一方的に殴りつけているのに、いつまでたっても動かない。
「十六夜返事してよ!」
 もう一度平手を張ろうとした時、手首を誰かに掴まれた。
「萱さん落ち着いてください」
 腰を落とし、険しい顔で十六夜を注意深く見る切れ長の瞳。
「……邪羅さん」
「十六夜さんは生きています」
「本当!?」
 なりふり構わず、邪羅さんの肩に掴み掛かる。自分の、むき出しの不安はどうでも良い。生きていると断言してくれたその言葉へがむしゃらにしがみついた。
 邪羅さんは再び落ち着けと、促す。
「怠惰は叡智と対を成す存在です。十六夜さんが背負っている感情と密接に関係しています」
 肩に置いたあたしの手を引き離すと、彼は槍をとん、と地面に打ちつけた。
「学びたいという感情と怠けたいという感情は、プラスに働くかマイナスに働くかの違いしかない同等の感情です。そして、怠けたいという感情を統べていたのが怠惰です」
「今の十六夜とどう関係してくるの」
「怠惰がいなくなった今、怠けたいという感情の負担が十六夜さんへ一気に流れている状態です。もっとも、魁にも負担が掛かっているようですが」
 そう言って一点を指差す。視線を辿ると、魁の姿がそこにあった。いつのまにかあたしたちと距離を置き、うずくまっている。
「しかし、魁への負担はすぐに落ち着くでしょう。怠惰の感情もハートを形成する一部でしかありませんから」
「じゃあ十六夜は? 十六夜はどうすれば収まるの」
 邪羅さんは口をつぐむ。魁とあたしと十六夜、三人を気にかけて目を細める。感情を管理する者が消えるなんて前代未聞なこと、今まで経験していないはずだ。
 彼は瞳を閉じて思案する。たった数秒なのに待ちきれず、その腕を掴もうとしたら、
「ひとつだけ申し上げるとすれば、萱さん。あなたの存在が鍵となるはずです」
 そう言った。
「あたし?」
「そうです。ハートではなく八重樫萱という存在が、」
 最後はかすれていて、よく聞きとれなかった。辺りは真っ暗だというのに、はっきりとした焦りが見て取れる。だけど口元は、涼し気な笑みが浮かんでいた。
「どうやらタイムリミットのようですね」
 邪羅さんは槍を再び打ちつける。一定のリズムで響く音は、次第に速度を増した。
「絶対に、動かないでくださいよ」
 低く言い終えると同時。その場から魁に槍を投げつけた瞬間のこと。
「全部邪魔だ……全部!」
 魁が腕を突き出し、手のひらから黒い塊が飛び出す。
「怠惰も! オマエたちも! 世界も! そんなものが存在するからハートは……ハートは!」
 槍は加速度を上げて魁を狙うけれど、塊に触れて呆気なく散る。塊は消失することなく、あたしたちに向かって流れる。咄嗟の判断だったんだろう、邪羅さんは光の壁を作り出して、塊の軌道を変えた。瞬く間に頭上高くまで上り、破裂する。
「さすがにちょっと厳しいですね」
 自分の浅はかさが、取り返しのつかない窮地を生んでしまった。それは、苦々しい邪羅さんの声が証明している。
 どうすれば良いのか。考えたところで名案が浮かぶわけがない。だけど、たったひとつ……たったひとつだけ、心に決めたことがある。
 倒れたままの十六夜に寄り添い、彼の服をぎゅっと握る。
 いつもは十六夜が守ってくれた。今度はあたしが、十六夜を守る番だ。
 魁を見据え、ただ守りたいと呪文のように念じていたら、魁の姿がふっと消えた。
 ぞわりと悪寒が走る。邪羅さんの隣、数メートル先の大地に魁が来る。咄嗟に声をかけようとした。でも間に合わない。
 気づいた邪羅さんは槍を出現させたけれど形が完成する直前、彼の脇腹を光の玉がえぐる。地面を削るように、邪羅さんは遠くに吹き飛ばされた。

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