Long Story

光の欠片 No.19

「い……や……」
 奥歯が鳴って喉が締まった。太い指が体に触れる瞬間を目にする勇気はない。それでも体を守ろうと腕をまわした、その直後。
 痺れにも似た感覚が胸を走り、瞬時に全身へと広まり駆け巡る。お腹の底から湧く熱い塊が、あたしという器を押し退けるように膨張――破裂。自分が聞き取れるギリギリの高音を残して消え去ると、いつの間にか閉じていた瞼の裏に暖かな光を感じ取った。
 状況の把握ができない。
 寝転がったまま惚けていると何かがこめかみを伝った。手で触れてはじめて気づく。涙だった。
 目を開けると、曖昧に見える景色が広がっていた。それでも、絵の具で塗りつぶしたような隙のない青とくっきりと浮かぶ白を感じる。覆い被さる腕ではなく、夏の見慣れた青空がそこにいた。
 歯止めが利かず、拭っても拭っても涙が溢れる。恐怖が消え去ったのも理由のひとつではあるけれど、涙が流れ続ける一番の原因は別。
 重い体を起こして辺りを見まわすが、群れまで跡形もなく消えていた。大地に飛び散った血の跡までなくなっていて、普通の公園が広がるのみ。
 何が起きたのか。そんな問いかけは無駄だった。何度となく経験したから、もうわかりきっている。
 手の甲でもう一度涙を拭って、加速したままの心臓に両手を添えた。
 とくんとくんと脈打つ心臓の奥に、静かな湖を感じる。波ひとつなく、周囲の景色を取り込むような穏やかな湖。
 どうしてだろう。今まで意識したことがなかったのに、そこにあると自覚した途端、良く知っているような懐かしさを覚えた。抱きしめる母の温もりや、頭を撫でる父の優しさによく似ている。幼い頃から体験してきた優しい記憶。
 体の内側から生まれる力を度々感じたけれど、朧げで掴むことができなかった。でも、ようやく気づいた。あなたは確かに、そこにいたんだね。
 ずっとずっと昔から。
「……ハート」
 十六夜や魁を拒否した時に感じた力。拒絶の力だと思っていたけれど、そう表現するにはあまりにも温かい。
「あたし勘違いしてたよ」
 十六夜の存在を受けとめることができなかった小さな自分。魁の話を聞くことができなかった弱い自分。
 理想と現実の違いに戸惑って、我が身可愛さのあまり知りたくないことから目を反らせて、自分の外へ追い払おうとした。
 でも、拒絶じゃなかった。
「ハートは、弱いあたしを守ってくれてたんだね」
 はね除ける力と守る力。一見すると同じ力だけれど、本質が全く異なる。
 固く閉ざした扉の裏で震えながら膝を抱える。扉を強く叩かれれば、耳を押さえてやり過ごす。それが拒絶の力。
 でもこの力は違う、簡単に壊れそうな力じゃない。言うならば。
「……『保護』する力」
 落としていた視線を上げる。こちらに歩み寄る、知を秘めた瞳と交錯した。
「僕たちの力は、傷をつけることもあれば傷から守ることもあります。感情というのは、いつだってそのようなものです。白と黒。表と裏。見方が違うだけで中身は同じ」
 数学や物理を教わった時と同じ口調。力強くてまっすぐで。手に握る槍さえなければ、元の邪羅さんに戻ったと錯覚しそうだった。
 唇を強く噛み締めて立ち上がる。二度も命を削られかけたのに、あたしは邪羅さんに背を向けることを良しとしなかった。
 死にたいわけじゃない。ただ、元に戻ってほしいという思いが背を向けさせないだけ。
 もちろん恐い。もう少し機敏に動きたいけれど、全然慣れずに混乱してばかり。ひとりで立ち向かったところで、邪羅さんの攻撃をかいくぐって抱きつけるはずもない。
 それでも、逃げを選ぶ自分は嫌だった。ハートに頼っているのもあるけれど、理由はもうひとつある。
 邪羅さんから視線を外す。自分の近くに撫子の目があった。邪羅さんを戻せると知ったその目は驚いたまま固まっていた。こくりと小さく頷いて、邪羅さんを再度見据える。
「あたし、ハートを勘違いしてた。拒絶じゃなくて保護する力だったから十六夜を元に戻せたんだね」
 ぴたりと足が止まった。槍を下ろして、様子をうかがっている。話しても良いと判断して続けることにした。
「あの時、十六夜を助けたいと願った。ただただ必死だったけど、ハートが十六夜の気持ちを保護してくれたから元に戻った……そんな気がするの。だから邪羅さん」
 深呼吸をひとつする。言い切らなければ。言い切ることが、きっと大事だから。
「あなたを助ける。魁からあなたを取り戻してみせる」
 撫子のため。十六夜のため。何よりも、彼自身のために――助ける。
 これは、宣戦布告だ。今の邪羅さんに楯ついて、元の邪羅さんを取り戻す。
 弱さを知らない磨かれた瞳に一瞬で切り捨てられるかと思ったけれど、杞憂に終わった。邪羅さんはあたしの決意を無言で受け止めて冷酷な笑みを浮かべる。
「僕がどんな状態であろうとハート自身には無関係です。従って、その行動に意味はない。僕は違う道を選ばせてもらいます」
 そう告げて彼が一歩を踏み出すと、目の色ががらりと変わった。
「ハートは一刻も早く僕たちの元に戻るべきです。そのために最適の手段を選ぶ。それが……秩序たる僕の役目」
 撫子と対峙していた邪羅さんはその場から去りたいという空気すら醸し出していたのに、そんな雰囲気は完全に消え去っていた。手にする槍は彼の生き写しだと思えるほど、鋭利な視線を投げつける。
「正義に興味などない。僕は僕の成すべきことをする」

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