Long Story

光の欠片 No.30

 あたしは今、魁とハートの足跡をたどっている。その軌跡は、記憶と呼ぶのに抵抗を覚えるくらい、はっきりした形で現れていた。漏れる言葉や全身から漂う寂しさは、ひどく生っぽい。
 過ぎ去る時間は思い出を置き去りにしやすいのに、ここに広がる情景はそれを風化させていなかった。むしろ、過ぎ去る時間が白い海や黒い闇……見えるもの、感じるもの全てに焼きつけているような気がした。過去から未来へ流れるにつれて鮮明となる記憶。
 軸や芯と表現したほうが良いかもしれない。それほどまでに克明だった。
 だけど、こうして向かい合えるのは通り過ぎた時間だからできるのであって。過去じゃなかったら……この子じゃなかったら、向かい合うなんて無理だった。
 頭上を眺めていた魁がゆっくりと前を向く。あたしと目が合っても、視線は重ならない。見ているのはお互いの瞳なのに一方通行だった。
 魁の鼻先で指を振ってみたけれど、当然ながら無反応。手を振り、握りこぶしを作って開く。表情に変化は見られない。
 手を強く握った。爪が手のひらに食い込んで痕が残る。痛かった。
 血が通っている証。生きている証。魁の存在を肯定する、証。
 胸が激しく揺さぶられた。
 あなたが必要なのよ――その言葉が出てこなかった。今になって、言えなかったという事実が衝撃に変わった。昔は確かな意思を持って伝えられたのに。この子が沈んでいる状況に変わりはないのに……私は言うことができなかった。
 いらないわけがない。いらないわけが、あるものか。あの子が不要であれば自らを不要とするのも同じことだ。
 うなだれる魁の目の前で、自分の奥底にひっかかっている違和感を突き詰めようと試行錯誤していたけれど、ふと我に返る。
 あたしにわかるわけないじゃないか。
 後ずさってからハートの気持ちを代弁しようとしたけれど、声にはならなかった。その言葉をここで言ってしまうのは、何だかエゴのように感じられて。
 口を噤んでひと呼吸置く。後頭部だけ見える頭を、お腹の底まで染み渡るよう十分見つめて、それから魁に背を向けた。
 眼下の海に視線を這わせて消えた気配を心に思い浮かべる。手のひらに薄く残る爪の痕をなぞってみると、不揃いなへこみが指先に伝わってきた。その手触りがどうしてか恋しくなって、思わず唇を寄せて吸いつこうとした。その時だった。
 何の前触れもなしに白い海が揺らめいた。
 とっさに周囲を見渡す。体に振動を感じなかったので気のせいかとも思ったけれど、ある一点、白と黒の境界線にわずかな変化が見られた。
 境目がぼやけている。
 あんなにはっきりしていたのに、ほんの少し灰色になっていた。目を凝らして観察しようとした瞬間、強烈な圧力が足下からせり上がってきた。
 はたと辺りに目をやると、消えていたはずの光の花がいつのまにか浮遊しているのに気がついた。まとまりなく漂っている光の花は淡い点滅を繰り返していたけれど、何かに導かれたのか、次第に集まり出して球体状になった。星空に月が浮かぶ風景と雰囲気が似ている。
 光の花はどんどん集まり、抱えられそうな大きさになった途端、桜が散るかのようにゆったりと落ちて白い海に半分沈んだ。
 光の花は圧力を感じた時に現れたんだろうか。だとすると、わざわざ固まりになって海に潜ってるのは、道があると教えたいってこと……?
 魁を肩越しに振り返る。少し迷ってから、じゃあねと手を振って歩き出した。
 光の花の元へ辿り着くと、半球状態だった光の花は、海に溶けきってしまった。倣うように一歩踏み出す。ずぶりと、足が沈んだ。少し柔らかい感触だけど安定感はある。さらに一歩、踏み出した。
 体が海に埋まる。足から太もも、腰へと、進むごとに丸呑みしていく。海と言っても水分はなく、服や肌は濡れなかった。抵抗を感じずに歩けるので、階段を降りるのと同じ感覚。おかしいとすれば、腰から下がない、この視界だけだった。
 進んでいるうちに、とうとう肩の下まで見えなくなった。顔を埋めるのは抵抗があったけれど、進まなければ話にならない。息を吸って、吐いて、もう一度吸って止め、勢い良くしゃがみ込んだ。
 そして、そのまま体は硬直する。
 黒と白の世界も現実感が皆無だったけれど、あそこは色がわかれていた。だけどここには、白しかなかった。白が瞳に飛び込んでくる。毒々しいわけでも優しいわけでもない、ただの白。

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