Long Story

記憶の欠片 No.1

 誰にだって大切な日常がある。まだ十五年しか生きていない若造だけれど、あたしにだって日常は存在する。特に朝は毎日同じで、目覚まし時計の音に五分だけ遅刻することから一日が始まっていく。
 物心ついた頃から変えていないショートヘアーに、寝癖はないかと鏡を眺める。着替えもそこそこに、女子アナがはしゃぐ朝のテレビ番組を横目で見ながら、自分でトーストしたパンを口に詰め込んで、学校へ行く準備を整える。親から叩き込まれた『挨拶はしっかり』の教訓は守りつつ、自転車にまたがって学校へ向かい、教室のど真ん中に位置する自分の席へ着く。そして、朝のホームルームまで隣の席に座る友達と何気ない会話をする。
 これが朝の日課であり、あたしの日常だ。女子高生という身分から考えて、きわめて妥当な流れだと思う。
 日常に重要なのは変わらないこと。『友達と会話をする』までがワンセットで、ここまでこなさないと日常にはならない。
 だから……今の状況は、日常とは言いがたかった。

「それはないって! 可愛いヤツだなぁオイ」
 昨日までの鬱陶しい天気を吹き飛ばしたような五月晴れの朝。自分の机に鞄を置いた矢先、隣の席から笑い声が届いた。耳を通り抜けて行ったその声は、鞄を開けて教科書を掴んだ直後にすわり心地の悪いものへと変わる。
 男の子の声?
 聞こえてこなきゃいけないのは女の子の声のはずだ。なぜならその席は、高校へ入学してすぐに意気投合した女友達の席だから。
 彼女以外の人が座っているのか、と視線を這わした、その瞬間。あたしは自分の目を疑った。
 廊下の窓から教室を覗く男子生徒。朝から熱心に宿題を写している女子生徒。
 そんな、いつもと変わらない風景に紛れ込む……違和感。
 クラスメートと話しながら全身を震わせるように笑っている男の子が、そこに座っている。
 ――誰――この人。
「変じゃねーし、笑うとこでもねーし」
 数人の生徒が机を囲み、話に花を咲かせていた。照れながら抵抗したのは、当然だけど知った顔。それどころか、周りにいるのは一緒に授業を受けているクラスメートばかりだ。ただひとり、座って頬杖をついている男の子を除いては。
 机の上に鞄を置いたまま硬直していると、視線に気づいたのか緩みきった顔があたしに向けられた。
かや聞いた?」
 名前を呼ばれた。
 親しくないどころか、顔も名前も知らない人に呼ばれた。
 どうしてあたしを知っているの? 何で?
 激しい不快感が体を襲う。頭が、今の状況に追いつかない。追いつくことを拒む。
 ところがこの人は、動揺しているあたしの心境を掴めていないのか、
「こいつガチ天然。ウケるわーマジ腹痛ぇ」
 そう言って、お腹を抱えて笑う。
「ありえねぇ!」
 涙すら浮かべている。
 いや、それはあたしのセリフ……と言いたいけれど声が出ない。顔がひきつってしまう。
 とりあえず落ち着こう。落ち着けあたし。
 視線を外して周りを見渡した。昨日までそこに座っていた、席の主を探すためだ。
 シャンプーのCMに出てきそうな黒髪ロングヘアーを探す――いた。一番後ろの席で漫画を机に並べて読みふけっている。紙パックジュースを握りしめる読書体勢を見る限り、他人の席を間借りしているとは考えにくい。
 つまり彼女の席は後ろ。隣の席はこの人。雰囲気から察するに、それが正解なんだろう。だけど、自分の記憶と大きく矛盾している。あたしはこんな人知らないし、昨日までその席は彼女のものだった。
 何が起きているの?
「本当に可愛いなぁお前。見た目とのギャップがたまんねぇ!」
 耳と傾けると、どうやら昨夜のドラマの話をしているらしい。からかわれた男の子はドラマを見て号泣したと。そんな話で賑わっているけれど、あたしはそれどころじゃない。
 ひたすら騒がしい隣の男を改めて観察してみる。開いた窓から風が吹き抜けるたびに、明るく長い髪が流れた。
 そう、何よりも目立つ特徴は、男の人にしては長すぎる茶髪。似合っているか似合っていないかは別として、セミロングの茶髪男なんて一目で覚える自信がある。
 ……転校生?
 そんなことを思ったけれど、一瞬でその案は崩れた。
 転校生ならここまでクラスに馴染んでいないはず。こいつが人見知りしない性格だったとしても、この空気感は異常だ。ありえない。
 そもそも、転校生ならホームルームで先生から紹介受けるのが普通だ。入学してから今日まであたしは皆勤賞だから、休んでいるうちに来た可能性はない。
 となれば、次に出てくるのは夢かということ。
 手のひらをこっそり爪で強くつまんでみた。痛いだけで夢から覚める兆候は見られない。
 じゃあ次は……と、椅子に座ることさえ忘れて考え込むあたしを不信に思ったのか、明るい髪を跳ねさせ心配そうな声で覗き込んできた。
「萱? どうした?」
 吐息が触れそうな近距離で、モデル並みの綺麗な顔が突然ドアップになる。長い睫毛にしばらく見とれて数秒後。脳みそが火を噴いてオーバーヒートした。
 その近さや知らない人という条件だからか、体は近寄ってほしくないと拒絶を示す。
 腕を伸ばして体を離そうとした瞬間。ガシャーン! と派手な音。
 教室が一瞬にして静まり返った。
「え?」
 しっかり閉じていたまぶたを開き、音の元を確認する。
 見えたのは上履きの裏とぐちゃぐちゃになった椅子に倒れこんだ体……男の子が椅子ともみくちゃになっていた。
 あたし……もしかして突き飛ばした!?

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