Long Story

記憶の欠片 No.7

 どうしようかと撫子に同意を求めると、紅茶を一気に飲み干して追撃。
「探してたみたいじゃない。行けば?」
「俺もテストどうにかしたいんだからさ……ふたりして追い出そうとしないでよ……傷つくって」
 湿り気を帯びた窓枠にしなだれかかった。
「僕も話はあるのですが、切羽詰まっているわけではないので、そちらを優先していただいて結構ですよ」
 申し訳なさそうに邪羅さんが手を振ると、十六夜が何か思いついたように手を叩いた。
「お前数学わかる? 確か……得意だよな。もうすぐテストなんだ」
「テスト?」
「そう、テスト」
 十六夜がノートを彼に持たせると、何も言わず中身に目を走らせた。
 周りの喧騒を遮断するように、紙の擦れる音がテーブルを包み込む。
「……教科書のどの部分が試験に出るんです?」
「最初から31ページ」
 ノートをひとしきり読んだ後、邪羅さんは撫子の前にある教科書を指差した。
「その教科書……ちょっと貸していただきたいんですが」
 撫子が手渡すと、パラパラと本当に読んいでるのか怪しいスピードでめくっていく。
 立ちつくしたままの彼の背後で、伝票を持った学生が通り過ぎた。軽くぶつかってしまい、邪羅さんは頭を下げる。その様子を見て、撫子は席をポンポン叩いて手招きした。
「あたしの隣座れば?」
 同時に、テーブルに備え付けた呼び鈴で店員さんを呼ぶ。
「十六夜が奢ってくれるよ」
 十六夜に聞こえるように、わざと大きめに言った。邪羅さんは微笑みながら、それに乗っかる。
「それじゃあ、お言葉に甘えてお邪魔します。一度でいいからプリンパフェ食べたかったんですよね」
「いや……だから……どうして俺をのけ者にして進めるかな……アタシ本気でイジけちゃおうかしら」
 氷しか残ってないグラスを突きながら妙に麗しげに呟く。
 それにしても、デジャブと言うか何と言うか。少し前に、雑誌の切りぬきを握りしめた十六夜と巨大パフェ食べたばかりだ。どこかでパフェ特集でもしたのかな?
 そんなことを考えていると、ハイトーンボイスのウェイトレスさんが注文表を持ってやってきた。


「今日は助かっちゃった。ありがとうって言っておいて」
 店を出て、帰る方向が一緒だという撫子・邪羅さん組と別れたあと、改めて十六夜にお礼を伝えた。
 幸いなことに雨は止んだが、遅くなるまでやりこんでしまい、もう夕方だ。
 それにしても……彼の解説は凄かった。入学してから数ヶ月分の数学なら楽勝ですよ、と基礎の基礎まで叩き込んでいった。撫子のバケツ理論も比喩としては良いものだけど、そこに至るまでの過程を理解していないあたしたちには難しいんじゃないか、とアドバイスしていた。
 どんな理由を元に公式が出来上がったかを説明する。理解が追いつかなかったところは、例え話を用いたり図で描いたりした。とにかく見事な手腕で、ひと通り学習した後は、数学の問題が気味悪いぐらい簡単に感じた。
 世の中には凄い人がいるんだなぁ……と感心。博識というのは、きっと邪羅さんみたいな人を差すのだろう。
 鞄から携帯を取り出す。ハートのストラップが揺れて外灯を反射させたところで、はたと気づいた。
「そういえばさ。邪羅さん、十六夜に話あったみたいだけど……良かったの?」
 隣を歩く十六夜の顔を覗き込む。
 勉強に専念しすぎて、忘れていた。
 どうやら十六夜もあたしと同じく忘れていたようで、足を止めて目を泳がせたけれど、
「後で電話しとくよ」
 そう言って、再びあたしの横に並び、同じ歩幅で歩き出す。
 ひしめき合う路駐自転車を避けながら、他愛ない会話を交わす。赤く染まった空を水たまりが反射する。傘でひとつひとつ突きながら進んで行くと、数日前に彼を問い詰めた公園に差し掛かった。
 帰る方向は、ここで二手に分かれる。
「じゃあね。また明日」
 十六夜に向き直り手を振った。
 すると、
「……あのさ。萱」
 絞り出すような声で呼び止められる。
 頼りない外灯が彼を照らし前髪が顔に影を落とす。雨を予言する風が、ふたりの間を吹き抜けた。
「何?」
「あ……いや。やっぱりいい。明日学校で」
 躊躇いを含んだ声。何を言おうとしたのか。
 黙ったままじっと見つめてみたけれど、彼は目を合わせようとしない。
 諦めて手を振り「またね」と声を掛け、その場を離れた。しばらくして公園を抜けた路地に出ると、遠い、背中の遠く向こうから大きな声で名前を呼ばれた。
 振り返ると、走ってきたのだろう、十六夜が肩を震わせながら何か言おうと口をパクパクしている。
 だけど、何を言ってるか全然わからない。
「何? 聞こえない!」
 帰宅中のサラリーマンとすれ違いながら、十六夜の方へ一歩踏み出す。
 その瞬間。
 耳鳴りに似た高音が空気を震わせた。
 ……え?
 耳を塞いでも鳴り止まない。頭に響く。
 十六夜を見ると、大きな目をもっと大きく見開いて、駆け出している。
 ――そして。
 足元から突然の閃光。目を眩ませる光が噴き出し全身に浴びた。
 喉を引き裂くような悲鳴と共に、体がぐらりと揺れた。立って、いられない。
 意識が途切れる直前。
 微かに聞こえたのは、はち切れるように名前を叫ぶ心地の良い声だった。

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