Short Story

ジョーカー×ジョーカー

 鏡を綺麗に掃除するコツは、手を抜かずに乾拭きすること。俺が数週間で得たコツだ。先週掃除当番を終えたので、次の当番へそのコツを伝授しようと考えていたが。
「なんで、また、掃除、してんだ、よ」
 体の動きに合わせて水を撒く。ホースの準備も力加減も、手に馴染んでしまった。水滴より小さな自分の運になげき、溜め息をつく。
 俺の任務は終わったのに、こうして、今週もしっかり働いている。なぜなら、数時間前に行われたババ抜きの罰ゲームが掃除当番だからだ。ゲームに参加した人全員の掃除を、負けた人が肩代わりするという罰ゲーム。
 俺にとって参加する旨味はゼロ。それにもかかわらず参加したのは、なんのことはない、巻き込まれたからである。ゲーム開始の時に罰ゲームがあるなんて、あいつは言っていなかった。それを……。
 自嘲気味に鼻で笑い、すっかり綺麗になったトイレから撤収しようとした時だった。トイレの入り口から「よう」と声をかけられる。
 振り向かなくても誰かわかった。俺を巻き込んだ諸悪の根源であり、本来なら掃除をするはずだった武田だ。
「ピッカピカやな。さすがは東(あずま)、オレと違って出来がええわ」
「うるさい、さっさと帰れ」
 床の水を蹴り飛ばす。舞う飛沫。しかもトイレの水。
 武田はこの狭い場所に有り余る大音量で騒ぐ。開けっ放しの扉に体を隠し、顔を半分覗かせる。にゅっと突き出るVサイン。
 決めた。無視しよう。まともに付き合うと時間ばかり経過する。
 放置したままの掃除用具を黙って片付け始めると、かまってーな、とわめき出した。
「そんな冷たい対応されたら傷つくわ。ガラスのハートが粉々になって、俺むっちゃロンリネス」
「お前のせいだろ! そもそも武田の当番じゃないか、トランプまでわざわざ持ってきやがって」
「なに言うてんねん、東が1番オイシいとこ持っていったんやで」
 非常に残念だが、俺はnotお笑い芸人。笑いよりも安らぎがほしい。
「嬉しくない」
 こういったやりとりは毎日こなしているが、さすがに今日は不愉快だった。ペラペラと口を挟む武田に背を向けて、片付けを再開する。
 機嫌の悪さを察したのか武田も声のトーンを落として、しどろもどろになりつつ、「言うておきたいことがあんねん」と神妙に言った。
「驚かんとちゃんと聞きや。東、罠にかけられてんねん」
 俺は作業を中断して振り返った。声に出さず、目で言葉の意味をはかるために武田を見つめる。生活の9割を笑って過ごすコイツにしては、あまりにも真剣な顔付き。
 どうしてこのタイミングで、罠なんて物騒なセリフが出てくるんだ?
 無言の問いかけを汲み取ってくれたらしい。武田は胸ポケットからカードを取り出し、俺に見せつける。それは持ち主である武田に良く似たジョーカーだった。俺の運命を狂わせた元凶でもある。
「よく調べてみ」
 握らされたカードをまじまじと見た。
 中の人物は奇抜な化粧をしている。おどけたポーズと頬にある赤の雫が矛盾しているように思える。おそらく涙を表現しているのだろうけど、なぜ涙なのか。疑問に感じたが、とりあえず言われたとおり調べることにする。
 光に透かせる。異常なし。間近で凝視する。異常なし。
 普通のカードじゃないかと、ふいに傾けてみると、顔がほんの少し曲がっているのを発見した。改めて見直すと、雫が少し歪んでいることに初めて気が付いた。
「歪んでいるのはわかったけど」
 武田が持ってきたトランプだから、きっと雑に扱われた証だ。そう感じたが、武田は嬉しそうに告げる。
「それが罠やねん」
「はぁ?」
 なにをわけのわからないことを。
「触ってもわかるやろ」
 指先で撫でると、確かに。あるポイントで尖りを見つけた。それは雫の場所とぴったり一致する。
「だからってどうやって罠に、」
 言い終える前に言葉が止まった。ぐらりと視界が滑り、頭の血が足元まで落ちる。連鎖反応。数時間前の出来事が鮮やかな色や音声と共によみがえる。
 トランプを配る手。配られたカード。最後の一騎打ち。歓喜に跳ねたのは、栗色のポニーテール。
「やーっと気付いたか」
 握っていた掃除用具が手から滑り、虚しく倒れた。水浸しの床がびしゃんと音を立てる。湿気が多いのに喉はからから。声に出すのも億劫だったが、答え合わせをせずにはいられなかった。
「はめられ、た?」
 ジョーカーの笑い声が聞こえた気がした。

 

 

 さかのぼること数時間前。昼食を終えたみんなが雑談に花咲かせる中、俺たちは教室の中央を陣取ってババ抜きをしていた。数人でゲームをしていたのにいつのまにかギャラリーが出来ていて、参加者の指が動くたびに歓声があがった。
「なんで俺、こんなことやってるんだ」
 呟きたくなるほど不毛なことをやっている。ただのゲームであれば不毛だなんて思わないが、罰ゲームの内容を考えると不毛としか言いようがない。
 行儀悪く机の上に座った武田を睨んでみる。誰よりも早く手札を揃えた武田は、鼻歌を歌いながら積み上がった捨て札をまとめ出した。
「少人数でやったって全然オモロないやん。こういうのは賑やかにやらんと」
 武田はそう言って白い歯を見せる。丁寧にまとめたカードを大きく掲げてギャラリーに向かった。
「俺のアイドル、東クンが負けそうやで! みんな応援したってや!」
 武田のひと声でドッとわき起こる東コール。こいつら全員馬鹿だ。ギャラリーをぐるり見て、俺は長い息を吐き出した。
 なんでこんなことを……と、同じ思考回路に行きかけた時、細い指に掴まれたトランプの背表紙が鼻先に飛び込む。
「……とりあえず進めようよ」
 俺と同じく最後まで残った白川さんだ。印象の強い、栗色のポニーテールが窓から入りこむ風で揺れている。
 苦笑いを返して1枚引き抜く。指先ではジョーカーが大げさに笑っていた。
「ちぇ」
 ジョーカーを手札に挟むと、手の中で混ぜた。今度は白川さんの番である。彼女がおもむろに取った1枚は、ジョーカーではなかった。ペアになった数字の8が茶色い机に仲良く並ぶ。
 手元に残るのは、キングとジョーカーと5のカード。
「残る5枚か。なんとか終わりそうやな」
 8のペアを引き取った武田は、壁にかかっている時計を見てからカードを切る。いまだに周りでは、東がんばれとか東かわいいとか……ただ騒ぎたいだけの声が上がっている。
 いちいち対応していたら昼休みが終わってしまうので、全力でスルーすることにした。ただ白川さんだけには、ひと言断っておきたい。
「うるさくてごめん」
「みんな東君の味方だね。私妬けちゃう」
 演技だと俺がわかるように泣くフリをする白川さん。その仕草に武田&ギャラリーが盛り上がるが、これもスルー。
 手を伸ばしてカードを取ると、5のカードがペアになった。武田に手渡す。受け取る手がやけに楽しそうだ。
「あかんで白川さん。東は俺のモンやで」
「やっぱりそういう仲だったの?」
「そうなんです! 俺たち、いかがわしい仲なんです!」
「うるさい黙れ。黙れないなら出ていけ」
 テンションメーターが100%を振り切る武田に対して、どれだけつっこみを入れても無駄だと知っているが、訂正しておかなければ俺自身が可哀想だ。
 周りの声を無理矢理シャットアウトして、カードの柄にピントを合わせる。手元に残るのはキングとジョーカーのカードのみ。白川さんは1枚だけだから、間違いなくキングのカード。
「次で決まるかもしれないんだ」
「この先1ヶ月の進路がね」
 白川さんは、悪戯っぽく口角を上げた。そして、カードに指をかける。
 状況は変わらなかった。今、彼女の手元にジョーカーがいる。次は俺の番。
 ……その後、2回ほど繰り返したがお互いジョーカーばかり引いた。時間も刻々と過ぎ行き、残り時間に焦る、そんな時。
「次で最後にしようよ。残り3枚だし、時間もないし」
 白川さんはそう言って、武田に手持ちのカード2枚を渡そうとした。武田はきょとんとして手を差し出す。
「適当に混ぜてから、中身を私に見えないようにして渡してもらっていいかな」
 武田は首を傾げたけれど、言われたとおりにカードを混ぜる。手品でも始めるかのように、カードを伏せて白川さんに渡した。1枚ずつ受け取り、伏せたまま俺の前に差し出す。
「これで私も、どっちがジョーカーでどっちがキングかわからなくなった」
「なにするつもり」
「東君の運に任せる。どっちか選んでもらっていい?」
 急展開に、ギャラリーがさっきとは違った騒ぎ方を始めた。パチパチとした緊張感。ごくりと唾を飲み込んで右側のカードに触れる。
「ありがとう。それが私のカードね」
 白川さんは俺の触れたカードを机に置いた。余ったカードを渡されたので、白川さんに倣って机に置く。中身はまだ見ていない。
「東君のカードがジョーカーだったら、私の勝ち。私のカードがジョーカーだったら、東君の勝ち。それでどう?」
 つまり、ジョーカーを引き寄せれば負けになるのか。
 1回深呼吸して頷く。
 勝負は五分五分だし、なにより時間が迫っている。互いがカードの端を摘み、ひっくり返す準備を整える。
 いつのまにか武田とギャラリーはひっそりとしていた。全員が息をひそめて、白川さんの合図を待つ。
「勝負!」
 きた。
 俺はカードを掴んで机に叩き付ける。紙の乾いた音が響いた。

 

 

 答え合わせは渡り廊下で行うことにした。なんだか、強風に晒されたい気分だったから。
 白川さんは俺のところまで駆けてくると、勢い良く頭を下げる。
「ごめん! 出来心でつい……とにかくごめん!」
 その潔さに、責めたい気持ちが急速にしぼむ。俺は頭を抱えて回想した。
「トリックはこうだね」
 まずカード2枚を受け取る。ジョーカーの顔には尖った仕掛けがあるので、どちらが該当するのかは触れば簡単に把握出来る。問題はそこからだ。
 どうやって俺にジョーカーを選ばせたのか。
「あの時、カードを選んでと言われて俺は指をさした。キングのカードに」
 無言。当たっていると考えて間違いないだろう。続ける。
「そして白川さんこう言ったよね……『それが私のカードね』って。もし、指をさしたのがジョーカーだったらこんな風に言ったんじゃないかな……『それが東君のカードね』って」
 俺のカードを選べとは言わず、単に選べと言った。言葉を使った単純な仕掛け。どちらを選んでも俺の手元にジョーカーが来る計算だった。
 普通、相手のカードを示すことなんてしない。冷静になればわかることなのに、焦っていた俺は巧妙な罠に気づけなかった。
「どこでこんな手口を覚えたの?」
「『これであなたも一流の詐欺師に!』って本」
「……すごい本を読んでるんだね」
 あっけらかんとしているので本当に出来心だったのか疑問が湧いたが、それ以上触れないでおいた。出来心で片付けろ、と俺の中の俺が言う。
「東君こそ、よく気づいたね」
「武田が罠だって教えてくれたんだよ」
 胸ポケットからジョーカーを取り出した。雫は相変わらずいびつに歪んでいる。武田とそっくりな笑顔に思わず笑ってしまうと、白川さんは不思議そうな声をあげた。
「武田君が言ったって、本当?」
 信じられないと言った表情。トリックを暴いた時以上のうろたえようだ。
 渡り廊下をせわしなく歩いてぶつぶつと呟く。どうしたのかと尋ねる前に、足がぴたりと止まった。ポニーテールをなびかせ、まっすぐこちらを向く。
 躊躇するように、でもしっかり目を見据えて言った。
「東君、罠にかけられたのかも」
 武田と同じ言い方。
 罠。口の中で繰り返すが違和感だらけ。無言の問いかけを汲み取ったのか、白川さんは首を振る。
「違う、私じゃなくて……よく考えて。ババ抜きに誘ったのは?」
「武田」
「トランプを持ってきたのは?」
「……武田」
 突風が吹き抜ける。
 手で暴れるジョーカーを指でなぞった。そして唐突に思う。
 赤の雫は――もしかしたら笑い涙の化粧なのかもしれない。
「私は元からあった、ジョーカーの傷を使わせてもらっただけ」
 ぐらりと視界が滑り、頭の血が足元まで落ちる。連鎖反応。数時間前の出来事が鮮やかな色や音声と共によみがえる。
 トランプを配る手。配られたカード。積み上がる捨て札の山。1番早く幸せを掴んだ、憎たらしい笑顔。
「気づいた?」
 力が抜け、ジョーカーが風にさらわれる。脳裏の顔と同じ笑い方をする、ジョーカーが。
「はめられたーーーーーー!」
 ジョーカーの大爆笑が聞こえた気がした。

-おわり-

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