Long Story

光の欠片 No.1

 リダイヤルのボタンを何度押せば、あたしの手は気が済むんだろう。
 親指がひとりでに動き、液晶画面に常磐撫子の文字が点滅する。呼び出し中の文字が表示されて、耳を受話口にあてなくてもコール音が聞こえた。無機質な音は鳴り続け、散々期待を持たせたあとにブツッと途切れる。そこまで聞いて、あたしは通話を止めた。
 この先は、機械的な女性の声が持ち主の不在を伝えるだけだと学習したから。何度も聞いたその声にはじめは苛立ちを覚えたけれど、そのうち、虚しさと哀しさばかりが押し寄せてきた。だから、聞くことを拒否した。
 欲しい声は、この声じゃない。
「……撫子」
 メールの送信フォルダにも同じ名前が立ち並ぶ。指でなぞらえても、何通送ったかよく理解できなかった。もちろん返信は来ていない。
 最新の受信メールは親からの一通だけ。『ごめん、今日は帰らない』と一言だけ打って送り返した気がする。
「……撫子」
 液晶の光が消えると、真っ黒な画面に暗い顔が映った。
 今日だけで色々なことがあったけれど、何だかぼんやりして全部は思い出せない。
 頭の回転を鈍らせるのは、たったひとりの名前。
 戻るはずのない返事を求めずにはいられなくて、ずっと呟き続けている。口にするほど、喉を焼いては胸を締めつける。痛みを伴う。それでも繰り返し呼んでいた。
 馬鹿げた行為だって気づいているのに、止められない。過ぎる時間は不安を胸にねじ込み、これ以上何もできない自分の気力を極限まで削いだ。だから、名前に追いすがって希望を繋いでいないと、自分を保てそうになかった。
「う……ん」
 生温い風がカーテンをひるがえした時、真後ろで寝返りを打つ音がした。
 ガラステーブルに置いた携帯電話から背もたれにしているベッドに視線を移す。十六夜が苦しそうに胸を押さえつけていた。
 時々、目には見えない痛みをこうして訴えてくる。その度に、無力過ぎるこの手を重ねて静まるのを待った。
「撫子、十六夜」
 邪羅さんが刺されなかったら、撫子から返事がくるはず。怠惰が生きていたら、十六夜は無事なはず。そして、あたしが怠惰に捕まらなかったら、怠惰は生きていたはずだ。
「十六夜」
 たくさんの人を傷つけ、挙げ句の果てに人ひとりが絶命した。全ての原因の先に、自分がいる。何の力もないくせに、我が身可愛さでみんなを振り回して、迷惑をまき散らして……こんな結果。
 後悔したって遅い。でも、後悔ばかりが積み上がっていく。
「撫子」
 ねぇ、どうしてそこにいないの?
 どこにいるの?
 どこに行けば会える?
「十六夜」
 あたしいけなかった?
 これからも一緒にいたいと……それだけで良かったのに、願っちゃだめだった?
 疑問ばかりが次々と浮かび、疑問が自分を嘲笑う。全部あたしのせいだと言った、魁の言葉と結びついて、鋭利に、鋭利に、体をえぐる。
 がんばってきたじゃないかと肯定しても、瞬く間に打ち砕かれた。残響する音は、あたしの選んだ道が間違いだと諭す。違うとはね除けても、巨大な声に丸飲みされた。抵抗は意味を持たず、気力は一方的にけずれるのみ。
 いっそ、認めてしまったほうが楽なんじゃないかと。あたしが悪かった。あたしが未来を望んだのが間違いだった。大人しく言うことを聞いて、ハートを明け渡せば良かった。
 胸の空白を埋めたくて、そんな考えが頭をかすめる。何が正しくて、何が正しくないのか。とっくの昔にわからなくなっていた。
 ベッドマットに顔だけ埋める。
 もう……疲れた。
 頭も体も重く、あたしはベッドにもたれたまま力尽きるように眠ってしまった。


 頬に何かが触れた。手触りを確かめるように肌を柔らかく撫でている。まぶたを開けるのも億劫で、あたしはされるがままになっていた。その何かが人肌の温もりだと理解した瞬間、おぼろげだった意識が一気に覚醒した。瞳を開けると、動きが急に止まる。
 すぐそこにくっきりとした指紋があった。指の、形。
 放心状態で眺めていると、肌色の世界に部屋の白が混ざる。動いた手のひらは、あたしの髪を優しく梳き出した。
「萱」
 重い頭をのろのろと上げる。カーテンの隙間から朝を伝える日差しが射し込み、彼の茶色い眼差しを強く透き通らせていた。
「十六夜……?」
「無事なんだな」
 前髪から頬にかけて、ふわりと撫でていく。
「良かった。本当に……良かった」
 節くれ立ったその手は、気持ちまで撫でてくれているようで。はっとした時にはもう、涙で視界が歪んでいた。

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