Long Story

光の欠片 No.2

 伝えてくれた言葉は、自分の言葉でもあった。日頃から耳にする単純なセリフなのに、心にじんわりと広がる。緊張で縮こまった胸は、狂った時計が戻るようにゆっくりとほぐれた。
 無事だった。戻ってきてくれた。それが、たまらなく嬉しい。
 思いの丈を流す涙は止まらない。顔を覆うことも忘れていたら、突然、腕を引かれた。ぽすんとした柔らかい温もりに包まれ、長い腕が背中にまわされる。隣にはいつの間にか十六夜がいた。きつく強く抱きしめられると、自分のとは違う鼓動と一緒に記憶に染みた汗の香りが漂い出す。
 開けたままのベランダから、風が通り抜ける。外の熱風を引き連れてくるけれど、頬から感じる体温と比べ物にならない。そして、その熱さからくる安心感に、自分の弱い部分が広がっていく。
「撫子と……連絡が取れない」
 すっぽりと包まれたあたしの体。十六夜の服が濡れてしまう、そんなことを気にかける余裕さえなかった。
「邪羅さんがあたしを庇って刺された」
 十六夜の服が、溢れる涙で色を変えた。その境目を見ていると、自制心がますます崩れ出す。
「あたしのせいだ。あたしが撫子と邪羅さんを!」
「違う。萱のせいじゃない」
「魁だって言ってた! 全部あたしのせいだって!」
 胸に秘めてきたものはすごく重くて、吐き出さずにはいられなかった。自分を傷つけるだけなのに罵倒するだけ罵倒したくて、頭に浮かぶ疑惑を手当たり次第口にする。その行為が他人をも苦しめる凶器になると知ったのは、涙の味しかしない口づけだった。
 胸で泣きじゃくるあたしを引きはがし、苦しそうな顔で唇を奪った十六夜。降ってきた感触に唖然としていたら、もう一度抱き寄せてきて、
「違うから。萱のせいじゃないから」
 耳元で、表情と同じような苦しそうな声で呟いた。
 十六夜の浅い呼吸があまりにも痛ましく、罪の意識は余計に加速する。どうしてこんなに、あたしは愚かなんだろう。せっかく十六夜が戻ってきてくれたのに。嬉しくて仕方ないのに、自分が弱すぎて反吐が出る。
 全て撤回しようと腕の中でもがくと、十六夜はさらに力を強めた。それは、離さないと言われている錯覚に陥ってしまうほどで。
 ささやかにしかならなかった抵抗をやめたら、十六夜は大切なものを扱うような手つきで、あたしの頭を撫ではじめる。
「俺は一体、何度萱に救われたんだろうな」
「え?」  
「戦いの場で何が起きたか全部知ってる。怠惰が消えて邪羅が刺されたのも、俺の不甲斐なさが原因だ。いつだって萱を助けるのは俺でありたかったのに、覚悟が足りなかった。ごめん、本当にごめん。怖い思いをさせて……心細い思いをさせて、ごめん」
 頭上に語りかける声は、とても穏やかだった。口を挟んじゃいけないと直感で悟り、あたしは黙っていた。
「今、こんな状態で萱がひとりだって考えると、ぞっとした。ひとりでいさせたくなくて、早く戻ることだけを考えていた。怠惰の波に飲まれてる場合じゃないって」
 腕の力が少し弱まる。胸元に押しつけられていた顔を上げると、綺麗なあごのラインが見える。どこか遠くを見つめていた顔が、ふと、あたしへ落とされた。
「でも違う。逆なんだ。萱がいなかったら、俺、きっと消えてた。怠惰の波に耐えられなかった。萱の存在が俺を生かしてくれたんだ。だからってわけじゃないけどさ」
 ふわりと笑う。
「自分の存在に悩まないでほしい。俺がいるから。ふたりだから」
 体を離して顔を覗き込んできた。澄んだ瞳が、決意に満ちた表情であたしを捉える。
「俺は叡智。人類の知恵という知恵を味方にできるんだから、何だって解決してみせる。撫子ねーさんもきっと無事だよ。だから大丈夫」
 服を握りしめていた力がゆるゆると抜けていく。
 頭の中で撫子は無事だと言い聞かせていたけれど、浮わついたものでしかなかった。
 それは、嘘で塗り固められた自分だったから。そうであってほしいと、願う自分しかいなかったから。
 十六夜から発せられると深さが違う。簡単にひび割れるような、そんな弱々しい気持ちじゃない。
 ゆっくりと息を吐く。
 ――撫子は無事だ。あたしが撫子を信じられなくてどうする。
 十六夜は、どうしてこうも自分から暗い感情を消し去っていくんだろう。数分前まで暗い未来しか見えてなかったのに、体にのしかかっていたおもりは、もう軽い。
 涙は自然に止まっていた。


 昨日買ったジュースを手に取った。ベッドの脇に置きっぱなしだったからかなり温いけれど、仕方がない。カラカラの喉を潤した時、斜め前に座った十六夜が話を切り出した。
「とりあえず、ねーさんの様子を調べたいな」
 十六夜のお陰で、最悪の事態が起きたという考えは頭から消えている。だけど、間違いなく何かはあったはずだ。そうでないと、連絡が取れない理由にならない。
 住所ぐらい聞いておけば良かった。携帯番号とメールアドレスしか知らないから、もう繋がる手段がなくなってしまった。
 祈るように手を合わせ、額に当てる。手のひらも額も、汗で気持ち悪いほどしっとりしていた。
 もし、邪羅さんが十六夜のようにおかしくなったとしたら、撫子は邪羅さんが変わる瞬間に居合わせたことになる。
 目を閉じると、十六夜の凍った瞳が嫌でも蘇った。戦いの世界に出入りできる自分でも十六夜の様子に戸惑ったのに、何の事情も知らない撫子が直面したと考えると、それだけで寒気がする。
 早くどうにかしないと。
「ごめん十六夜。あの時のこと、教えてほしい」
「あの時って?」
「刺された時のこと。どんな感じだった?」

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