Long Story

光の欠片 No.7

 突風が吹き抜けた。風鈴の金切り声と生い茂る葉のざわめきを呼び起こし、自分たちの間を縫う。豪風は勢いを削ぐことなく、髪と服を乱した。あたしと十六夜との距離が開いている、何よりの証拠。
「人の記憶を操作するなんて、特別な理由がない限りやっちゃいけない。だけど、邪羅が関わっているなら話は別だ」
 十六夜は車輪の音を立てて自転車を引く。横に並び、入道雲を見つめて話を続けた。
「原因が邪羅にあるのなら、あの痣が消えるころに邪羅と出逢った記憶ごと消してしまえば、肉体も精神も傷は残らない」
 何を説明されているのか、理解しきるのに時間を要した。淡々とした物言いは、極々ありふれた内容を話しているような錯覚さえ起こした。数秒かけて脳内で形作られたのは、ありふれた内容どころではなかったけれど。
 記憶を消す。
 その能力を持っているからこそ、十六夜はハートを保護するためにここにきた。友達の輪に紛れて近づくために。
 十六夜は空からあたしへ視線を寄越す。瞳の色はいつになく真摯で、それが一段と胸にこたえた。
 申し出はとても魅力的だ。犯人の目星がついてるにも関わらず、整理ができていないという理由で撫子は話すのを嫌がった。現実を受け入れていない証拠だ。
 苦しさのどん底にいて、もがいて、暴れて、それでも抜け出せなかったら……記憶ごと消すという悲しい希望にすがってしまうかもしれない。
 だけど驚くほどに心が揺らぐ。
 撫子が、忘れることを望むって言うの?
 余裕なんて全然ないのに、普段の自分を必死に演じようとしていた、あの撫子が?
「十六夜に頼ることでしか撫子の力になれないの? 他にできることはないの?」
「あるかもしれない。だけど俺たちは邪羅との関係が強い。下手すると声だけで邪羅を思い出させる可能性だってある」
 押し黙るしか、なかった。
 助けたくても、笑ってほしくても、あたしが近くにいると、かえって撫子の傷を深めるかもしれないんだ。
「ごめん、酷なこと言った。俺もねーさんの記憶をいじらずにどうにかしたい」
 不安そうな声は、十六夜も心を痛めていることがありありと伝わってくる。それが良くわかるのに、あたしは顔を上げることができなかった。
 ひとり分の靴音が家の外壁で反響する。それがふたり分重なるのに、少し時間がかかった。
 いつもなら、あたしたちは話の隙間がないほどしゃべり倒すのに、今日は横に並んで歩いていても、会話が途切れたままで。
 結局、一言も言葉を交わさないまま駅前に辿り着いた。
 狭い歩行者通路で人を避けて進んでいると、ふと眩しい光を受けてに足を止める。視線を向けると、ガラスに反射した太陽とオープンの看板が見えた。
 果物いっぱいの内装に華やかなメニュー、大きなショーケース。そこはケーキショップだった。
「こんな所にケーキ屋があったのか。まだまだ開拓不足だな」
 同じように立ち止まった十六夜が、お店を覗いて悔しそうに呟く。
「街のケーキショップ、片っ端から攻めてるの?」
「当然。でも、夏はやっぱり、ケーキよりアイスがいいな」
 そう言って、駅の近くを指差した。示した方向には期待を裏切らない、アイスのお店。
「行く?」
 聞く前に自転車はそっちの方向を向いていた。
「今の俺にはアイスが足りない」
 言い終えるのもそこそこに、十六夜は吸い寄せられるように向かって行く。数人の若者グループが行き交う人ごみの中、十六夜の長い髪を見失わないでいるのがやっとだった。
 あたしを置いてけぼりにしていることに気づいてるのか気づいてないのか、近くで自転車を止めてそそくさとお店へ入っていく背中。追いついて、ようやく一息つけたのは、ふたり分のテーブルを確保した時だった。
 コーンに三つ重なったアイスを見つめる目。こんな日でなければ満面の笑みで堪能するのだろうけれど、十六夜の顔は神妙だ。ちらちらと十六夜を観察しているあたしも口に広がるオレンジの香りに幸せを感じられなかった。それでも、気まずい沈黙を味わいたくなかったので、
「夏休みの宿題やった?」
 と、何でもない話題を口にする。
「全部はやってないよ」
 アイスにささったスプーンで素早くアイスを口にする十六夜。
「全部って?」
「数学と物理以外はやった」
「……何でそのふたつ残してんの?」
 スプーンで食べるのが面倒になったのか、十六夜は一番上のストロベリーにかじりつく。口に入れすぎたらしく、こめかみに手をあてながら「公式見るだけで眠くなる」と答えた。
 普段だったら、何それ、なんて苦笑いと一緒に聞き返してるところなのに、顔が強ばる。笑うことに対して体が抵抗する。
 喉の奥が苦い。アイスはこんなに美味しいのに。

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