Long Story

光の欠片 No.6

 あたしの視線から逃げるように顔を背けて、震える唇を強く噛んでいる。その様は恐怖に耐えているようにしか見えない。
 背中にぞわりと鳥肌が立った。
「何されたの?」
 もう一度聞いても、彼女は首を振る。
「昨日の夜転んだだけ。あたしだってドジ踏む時があるんだから」
 肩を揺らせて笑うけれど視線が合わず、彼女の精神的な危うさを浮き彫りにしている。
 演技だとわかる笑い声。あたしも、十六夜が変になった時に自分を明るく装っていた。何気ない気遣いのつもりでいたけど、こんなにも周りへ痛々しく突き刺さるものだと、たった今知った。
「そっちこそ昨日と同じ服じゃない。蘇芳も一緒みたいだし。さては」
「やめて」
 ごまかしているつもりなのか、言葉を並べてからかいはじめたところで、遮った。
 心が痛い。
 普通を演じる撫子を見ていられなかった。
「無理に明るくしていることぐらい、あたしにだってわかるの」
 学校に入学してから数ヶ月、あたしは撫子のそばにいた。些細なことで怒る顔だとか、くすぐったそうに笑う顔だとか、自然な表情を近くでたくさん見てきた。
 もちろん、撫子の全てがわかるわけじゃないけれど、彼女が嘘をついてることぐらいはわかる。
「言いたくないなら話さなくていいんだよ」
 泣きたいなら泣けばいいし、やり場のない怒りがあるなら、あたしに怒鳴って気持ちを切り替えればいい。撫子の暗さを引き受けられるのなら、何だっていい。
 特に今回の一因は、間違いなく自分。
 あたしのそばにいたから撫子は巻き込まれた。避けたいと願い続けていたのに、痛みを抱えさせてしまった。その事実はどうやったって消えない。
 だからと言って、今必要なのは償いじゃない。そんな独りよがりの謝罪をなすりつけたって、何も変わらない。
「ねぇ、気持ちが沈んでようが怒ってようが、あたしは撫子が大好きなんだよ」
 夜の海を思い起こさせる、大きな瞳を小刻みに震わす撫子。自分の向こうに、あの人を見ているんだろうか。
「どんな撫子だって大丈夫。いつだって」
 口をつぐんで、顔を覗き込む。
 彼女の器の大きさに比べたらあたしはまだまだ子供で、弱っている時に頼るような相手ではないと思う。それでもやっぱり支えたい。
 少し、緊張する。止めた言葉を口にするために息を吸い込んだ。
 伝えたいこと。届けたい思い。
 幼稚な考えかもしれないけれど、生の気持ちを言おう。
「いつだってあたしは、撫子の味方だから」
 伝え終わるか終わらないかぐらいのタイミングだろうか。彼女はあたしの胸に飛び込んできた。
「ごめん。あたし、レイプとか、変なことは、されてない。だけど、ごめん、ちゃんと整理できてないから。だから……話せない。話すのが怖い」
 蒸すようなセミの鳴き声が押し迫る。
 濃厚でいて夏の醍醐味でもある大合唱。普段は耳障りだと感じる騒がしさなのに、もっと鳴いてほしいと願った。
 涙を見せず、指先だけで泣く撫子の代わりに、もっと叫んでほしかった。
「ごめん……ごめん。萱」
 自分の肩に顔をうずめる撫子が、うわ言みたいに繰り返す。
 直射日光に熱せられても凍える彼女の背中。腕に触れないように手をまわして黒髪の後ろからそっと撫でると、十六夜が物音を立てずにこの場から離れていった。撫子のことを思って近くにいないほうがいいと判断したんだろう。
「撫子、謝らないで」
「ううん。わかってる、わかってるから。だから、ごめん。話せなくてごめん」
 そうして撫子は、あたしに向かって何度何度も謝り続けた。


「あたし、どうしたらいい?」
 撫子を見送ったあと、錆びついた車輪の音を引きずりながら帰路についていた。風がアスファルトの熱を舞い上げ、夏の昼を知らしめる。一軒家が立ち並ぶ閑静な住宅街を歩いてるせいか、他に歩いてる人はいない。
 体中が悲鳴を上げていたので、自転車へ乗る気になれなかった。冷静になってみると、昨夜怠惰に縛り上げられたんだから当然の話だ。よくよく体を見ると、引っ掻き傷に似た跡がうっすら残っているのがわかった。
 撫子のことに気を取られていた時は視界をかすめても全く目に止まらなかった。自分の感覚を麻痺させてしまうほど、神経を張りつめてたのかもしれない。そこまで自覚してから鈍い痛みがやってきたのだから、おそらく正解なんだろう。
「何かしてやれることがあると思うなら、してやるといい」
「思いつかないから聞いてるんだけど」
「じゃあ、ない」
「何それ?」
 ちょっとくらい一緒に考えてくれてもいいんじゃないの? と詰め寄ろうとしたけれどその前に十六夜は口を開いた。
「あれだけの濃い痣、余程強く握らない限り残ることはない。腕を掴む程度じゃ、どう考えても無理だ」
「わかってる」
 痛いなんてレベルじゃないはずだ。想像するだけで、自分の腕も疼いてきて気持ち悪い。
「だから、よく言う話だけど時間しか解決できるものはないと思う。本来なら」
「本来なら?」
 含んだ言い方が引っ掛かって同じ言葉で聞き返したら、十六夜はブレーキ音と共に視界から消えていった。
 首だけで振り返る。十六夜は長い髪を垂らし視線を落としていた。前髪が濃い影を作って表情が読み取れない。
「十六夜?」
 そう声をかけて体を向けると、彼はゆっくりとアゴを上げた。固い眼差しと交錯、数秒後。十六夜は重々しく切り出す。
「ねーさんの記憶を変えるって手が……まだ残っている」

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