Long Story

ハートの欠片 No.16

 線香花火が二本、隣り合わせに並ぶ。光が今にも触れそうな距離。
「人間がどんな生活をしているのかは知っていたけど、整理された知恵であって生の息吹じゃなかった。知った気になっていただけ」
 互いの火花がわずかな時間差で散った。地面に落ちる前に灯火は薄れる。
「人としてここに来て、人として暮らして。好き嫌いだけじゃなく、色んなものがぎゅっと詰まった……それこそ花火みたいな弾けるような毎日でさ。離れよう、なんて思えないよ」
 吐く息が花火にかかると、彼の火玉だけがぽとりと落ちた。
「だけど、ハートは回収しなければならない。両方の考えが堂々巡りしていた。でも最近は」
 十六夜は三本目の花火に火をつける。
「ここにいたいって気持ちのほうが勝ってた、かな。だから今日は……今日だけでも、人として普通に楽しみたいって」
「十六夜……」
 瞳に、十六夜の火とあたしの火が映り込む。愛おしそうに見つめていて、落とさないように気を遣っているのがじんわりと伝わる。
 一緒。
 密度の高いこの時間。過ぎてしまうのが惜しく思う、その気持ちは同じだった。体の中心が温かくなる。ほっとして胸を押さえていると、十六夜は視線を落としたままふわりと笑った。
「でも、俺が何よりも望むのは……萱が萱であること」
「え?」
「萱が、普通に萱らしくしていること。ハートとか関係ない、普通に萱。俺の一番の願いごと」
 肩が震えた。四つ目の火が、釣られて落ちる。
「ハートを離すんじゃなくて、非日常を引き離す。本来の目的とは違うけど、俺はそれがいい。萱も、生活も、全部大事にしたい」
 彼もゆっくりと顔を上げた。
「な? 俺のほうがわがままだろ? わがままっぷりだったら、萱には負けないぞ」
 堂々と言い切ってVサイン。十六夜の火も落ち、続くように火種も消えた。暗闇が戻り、視界を黒く塗り潰す。
 ――あぁ、あたしを見失ってしまう。
 決壊したのは理性。我が身可愛さも途切れそうな未来も振り切って、十六夜の胸に飛び込む。ぐらつきながらも、十六夜はしっかり受け止めてくれた。
 大切なことを忘れていた。普通の十六夜を取り戻すために、ハートの世界に行ったじゃないか。あたしだって、十六夜には本来の十六夜でいて欲しいんだ。
 どうかしてる、あたし。
 どうしようもない、が正解かな。
 長い片腕が背中にまわされる。開いた手はあたしを落ち着かせるように、優しく頭を撫でてくれた。
「ありがとう、十六夜」
 思い出させてくれた。十六夜が十六夜でいてくれる限り、あたしは、普通のあたしでいられる。
 腕や体から伝わる体温が、これ以上ない宝物のようで離れたくなかった。今まで感じたことがない、愛おしい気持ちが溢れてやまない。押さえが、きかない。
「十六夜、あたし、あのね……」
 口が空気を求めるようにぱくぱくと動く。伝えると決心した気持ちは、今伝えるしかないと悟った。
 おもむろに体を離す。そんな、絶好のタイミングで。
 ——最悪の事態が訪れる。
 風が異質なものに変化した。十六夜の体がピクリと反応する。
 そして……夜空を引き裂くこだまが、公園中に鳴り響いた。



 
 十六夜の動きは早かった。
 月の方角から、無数の小鳥が輝きをまき散らして羽ばたく。青白い光を危険だと認識する前に、十六夜は杖を振りかざして全て防ぎ落とした。
 彼が立ったことすらわからず、座ったまま呆然と眺めていた。
「こんなタイミングで来るなんて、空気の読めないやつだな」
 軽快な音を立てて杖は踊り、ある一点……月を指す。影と化した人のシルエット。月に溶ける金色の髪。二度と聞きたくなかった声が、星空から高らかに降り注ぐ。
「残念だけど、私優しさは持ち合わせていないの」
「おまえがそういう性格をしているくらい熟知しているよ……怠惰」
 十六夜の言葉を受けて、怠惰は地上に姿を現す。乱れた髪を耳にかけ、厚みのある唇で綺麗に笑みの形を作った。怪しく光る瞳に視線が絡みとられると、あたしは咄嗟に身を引いた。だけど、背後には噴水とベンチが立ちはだかる。
 ――挟まれた。
「お久しぶり萱さん。元気そうで嬉しいわ」
 人を蔑むエメラルドの瞳は、心にもない社交辞令を述べる。彼女の微笑みひとつで、体を支える左腕の傷が疼いた。寒気がする。
 腰を上げて十六夜の背中に寄ろうとした時、隣に人の気配を感じた。数時間前まで一緒にいた人なので、雰囲気だけで誰なのかわかった。
「邪羅さん、大丈夫?」
 ちらりと顔を見る。邪羅さんは何も言わず、真顔で怠惰を睨みつけていた。
「お陰様で」
 唇を僅かに動かし、短く返事をする。想像していたよりはっきりした口調だった。酔いからは覚めているらしい。
「ただ、少々機嫌は悪いですけどね」
 意図せず出た、といった風の小さな声。手にした槍を構えることなく、怠惰を静かに見つめ続ける。刺だらけの雰囲気に怖じ気づき、少し十六夜に寄った。足元にあった花火の残骸を踏んでしまい、場に相応しくない音が鳴る。

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