Long Story

ハートの欠片 No.22

 どくんと脈打ち、胸の奥で煮えたぎった熱い塊が動いた。鼓動に混ざって、ハートが何かわめき出す。
「どうなんだ」
 段々苛立ってきた声に驚いたのか、塊の振動が止まった。不気味に感じながらも、頭の中に言葉を浮かべる。
『あたしは何も知らない』
 覚えているのは高校に入るまでのごく普通な生活と、高校に入ってからの不思議な出来事。それだけだ。
 魁が示しているのは間違いなくハートのこと。自分が知っているのは、邪羅さんと十六夜から教わったことのみ。
 さっき、ハートが魁を置いてここにきたと言っていた。あの白と黒の世界からハートだけ抜けてきたのだろうか。
 胸に乗せた手のひらを、ぎゅっと握った。
 魁とハートの境界線にあたしがいる。何も理解できていないあたしが。
 どうしよう。どうすればいいだろう。動揺が手に現れて、汗が滲む。
「何ならわかるんだ」
 繰り返される同じ問い。何ひとつわからない、と吐き出してしまいたかった。だけどできなかった。
 自分の中心部を掴まれたようなこの状況に声が出せない。ここで否定してしまえば、また嫌な感情が流れてくるのではないかと、恐怖を感じている。
 呼吸が荒くなり、声が途切れた。頭の先が痺れるような感覚が湧き出て、寒気が全身を走り抜ける。
 思えば、この時すでに平静さを失っていた。
 頭に直接語りかけていた声へ。
 背中から感じる気配が混ざったということに。
 ――今更ながら気づく。
 さらに忘れていた重大なことは、十六夜や邪羅さんは魁の居場所がわからない、ということ。
 振り返るあたし。
 そこで見たのは、自分に伸ばされる魁の手だった。
 捕まる、と思った矢先。魁の指があたしの腕に触れる寸前のこと。
 パーン! と風船が破裂するような高い音が響き、魁の腕が大きく弾かれる。
 鮮明な記憶がずるり、と頭に蘇る。これは――『拒絶』の力。思い当たった瞬間、力強い腕に引き寄せられる。十六夜だ。
「萱! 無事か?」
「大丈夫。それよりも」
 よろめいた体を立たせて魁を見据える。 黒く、深い瞳が大きく見開いていた。
 あたし……今。
 引きずられるように傾く体を十六夜が止める。わなわなと指先が震えた。自分の深層心理が理解できなかった。
 無意識に、彼の存在を拒否したんだろうか。魁の言葉に耳を塞いだんだろうか。
 しばらく思案して、頭を振る。
 違う、魁を……ハートを知ることが怖かったんだ。それが力になって現れただけ。
 ハートを狙っている敵とはいえ、彼はハートの片割れでありハートに最も近い人物。言葉を伝えてきた時や手を伸ばしてきた時は、敵意なんてなかった。今なら理解できるのに、いざとなったら知ることが急に怖くなった。
 そんな臆病者を見る魁の目が、急速に変化していく。
「待ち続けて、この結果か」
 拾うのもやっとな程小さく呟くと、開いた瞳からひと筋の涙をこぼした。
 頬を伝わる感触に自分自身も信じられないようだ。手の甲でぬぐい、それを呆然と見つめる。そして、ふた筋目の雫が瞳から溢れた時、怒りを遥かに通り越した深い深い憎悪が全身から漂い出した。
 怠惰と目が合った時、それこそ背筋が凍る思いをしたけれど。魁の眼差しは、怠惰のものとは比べ物にもならなかった。
 口にしなくてもダイレクトに伝わってくるのは、『絶対に許さない』という言葉。
「ずっと呼び続けていたのはオレだけか」
 念に貫かれて、吐き気を呼び起こす。足が凍り、体を大地に縛りつけた。
 十六夜も危険を感じたのか、思い切り腕を引っ張ってあたしを背中に回す。庇う気だ。
「萱下がって! なるべく遠くへ! ……邪羅!」
 杖を構え直して叫ぶ。返事はすぐに返ってきた。
「そんなに力いっぱい呼ばなくても近くにいますよ」
「のんびりしている場合か。俺たちも吹っ飛ばされるぞ!」
 十六夜と邪羅さんのやりとりを震えながら眺めていたけれど、頭に入らない。体が警笛を鳴らし続ける。怪我どころじゃない、このままじゃ命が削られる。
「アンタがこっちにいる間、絶望しかないあの空間でオレは……オレは!」
 溜まり続けて泥にでもなったような……そんな鬱屈とした感情を全身に受け、思わず数歩後ずさりした。彼ら三人の姿が少しずつ遠ざかると。
 かさりとした音が、背後から届いた。 
「――はい。ご苦労様」
 耳元には聞き覚えのある女性の声。
 振り向く間もないまま細くしなやかな腕にしがみつかれ、首筋に冷たい感触があたる。
「目を離すなんて、どれだけ愚かなのかしら? ねぇ……叡智」
 怠惰だった。

しおりを挟む

PageTop