Long Story

ハートの欠片 No.5

 十六夜の視線を避けるように逃げたあたしは、三連休の残りをぎこちなく過ごした。考えたところでどうしようもないとわかってはいても、頭は取り憑かれたように考え続ける。当然だけど睡眠は満足に得られず、白濁した頭で終業式である今日を迎えた。
 開けられた教室の後方ドア。教室内の人から自分の姿が見えないよう、細心の注意をはらって中を伺った。室内の隅々まで目を走らせ、茶髪のロン毛が見当たらないことを確認する。
 十六夜の場合は、あの声も目印のひとつ。誰よりも騒がしいので、近くでも遠くでもすぐにわかる。
 幸いなことに、姿も声もあたしのアンテナには引っかからなかった。廊下をばたばたと歩く同級生の白い目をよそに、あたしはおもむろに足を踏み入れた。そして、自分の席には目もくれず、漫画を読みふけってる黒髪へ足早に歩み寄る。
「うひゃあ!」
 背中から抱きつくと、キャラに合わない可愛い声を出して撫子は驚く。鼻に触れた髪が鼻孔をくすぐった。
「撫子さん、お願いがあります」
 お願いに不釣り合いな暗い声で伝えると、撫子は手にした漫画を机に落としてジタバタと暴れた。
「やめんか萱! 耳! くすぐったい! 離れろー!」
 あたしの手首を叩くも、力が抜けきっているのか弱々しい抵抗しかしてこない。
 椅子に座っている彼女に抱きついたから、自分の口が耳元にきてしまった。もちろん、わざとじゃない。というか、初耳。
「耳……弱かったんだ?」
 口をさらに近づけて囁く。腕の中でもがく彼女の抗い方は、小さな子供のよう。
「わかったら話すな! 離れろー!」
 面白かったから止めたくなかったけど、このまま続行したら後々恐ろしい目にあいそうなので渋々離れた。
 椅子に座ったまま、肩で大きく息をする撫子。その背中をつついて、あたしは繰り返し言う。
「お願い聞いてほしいな」
 本来なら、謝ったり誤摩化したりしてフォローしたほうがいいんだろうけど、今は一分一秒を争う事態。こうしている間にも、周囲では挨拶を交わす声が増えている。
 だけど、フォローしなかったのが運の尽きだったらしい。撫子は椅子の上に膝で立ち、錆びた音がしそうなほど機械的な動きでこっちを向いた。
 深く黒い瞳と交錯する。完全に目が座っていた。
「お願いよりも先に言うことあるでしょうが!」
 言い切らないうちに、あたしの頭を乱暴に鷲掴みにする。並外れた速さで大きく揺さぶられ、視界は四方八方に飛び散った。首のつけ根が痺れる感覚を、はじめて味わう。
「ちょっとやめて! ごめんってば!」
 自分の行いを悔いる。どれだけ楽しくても、この人に悪さをしたら倍以上で返されてしまう。
「最初から素直に謝れば良いのに。で? お願いって何よ」
 あたしは首を丁寧にさすって、満足そうな撫子を見下ろした。お星様が飛び交う頭を落ち着かせるため深呼吸ひとつしてから、彼女の両肩に手を置いて本題を伝える。
「今日も一日、八重樫萱になりませんか」
「無理。終業式だし」
 あっさり即答。
「そこをなんとか!」
「理由を言え。理由を」
 肩から手を退かせた撫子は、怪訝そうに眉をひそめる。膝で立っていた体勢がつらくなったのか、椅子から下りて腕を組んだ。
「理由って言われても……」
 十六夜の席に目を向けた。まわりの席はほぼ埋まっているけれど、そこの主はまだ不在。でも十分もしないうちに来る。来てしまう。
 撫子はあたしの視線を確認しないまま、長い息を吐いた。
「誰が関わってるかなんてどーでもいいわよ。わかりきってるから」
「だったら変わってよ」
「やーよ」
 取り合ってられないと言わんばかりに、大きく手を振る。だけど、こちらも手段を選んでいる時間はゼロ。なぜなら、十六夜の席はあたしの隣だからだ。来てからじゃ遅い。
「後で話す、ってことでまるっと納得してくれませんかね」
 手を合わせて懇願すると、撫子は複雑な表情で髪をかきあげた。視線が、あたしの目からやや上方向に反れている。
 ――まさか。
 同じ姿勢を保ったまま、一瞬にして硬直した。背中に鳥肌が立つ。何より人の気配がする。
 そして、撫子はあたしの直感を肯定するように指差した。方向は、あたしの頭の数センチ上。
「そいつ次第かな」
 ……ここで生まれた選択肢は四つ。振り返る、振り返らない、忘れたふり、見えないふり。クイズ番組の早押し問題のように、選択肢がパネルになって頭を通り抜ける。秒単位で加速する脈を認識しながら選び損ねていると、大きな手に右肩をポンと叩かれた。

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