Long Story

ハートの欠片 No.7

 コーヒーはあたしにとって鎮静剤のようなもので、混乱しやすい精神を落ち着かせてくれるものだった。どんな時でも口に含むだけで静かになれたのに、今回ばかりは鉄則が覆される。
 放課後のファーストフード店。学生と家族連れが溢れかえる店内で、あたしはずっと俯いていた。アイスコーヒーを飲んではトレイに戻し、数秒経たないうちに再び口にする。それを繰り返し繰り返し行っていた。
 何かしていないと落ち着かない。だけど、何か真剣に考えるような精神でもない。考えないようにしても見ないようにしても、ひとつの事柄が脳髄に張りついている。
 自分がしたこと。十六夜にされたこと。
 ――あたしの気持ち。
 考えては行き詰まり、答えを求めては踏みとどまる。魁が自分と同じハートだという事実が霞んでしまうほど、どうしようもない状態に陥っていた。
 もう何度ついたかわからない溜め息を吐くと、撫子は大きな口でポテトパイにかぶりついた。
「で? 何があったのよ」
 当たり障りのない話題にさえ生返事しかしなかったのに、撫子は責めなかった。こっちから話すのを待ってくれたんだろうけど、自分から切り出す気力なんて、指先の面積すら残っていなかった。
「話さなきゃ……だめ、かな」
 往生際の悪いあたしのセリフを聞いて、撫子はぎゅっと眉をひそめる。
「絶対自覚してないと思うけど、今日一日『女の子』の顔してたわよ」
「え?」
「あいつも普通になったんだから、丸く収まればいいのに。どうして、萱だけ暗い表情に戻らなきゃいけないの?」
 遠慮なく、ぶつぶつと文句を言う。食べる手は休めず、ひとつめのパイをぺろりとたいらげた。
「無理に話せとは言わないけど、このままだと納得いかないわね」
 撫子の言葉に無言を決めつけると、撫子は空になった包み紙を畳んでトレイに投げ捨てた。
「あいつが普通に戻って嬉しいでしょ」
「それは、もちろん」
「じゃあ何が嬉しくないの」
 撫子はわかりきった回答を追い立てるように、本題を被せてきた。
 目線の痛さに目を背けると、会話が途切れて周りの耳障りな笑い声が充満する。沈黙に耐えかねて、いつも注文しているチキンナゲットに手を伸ばした。
 大好きな味。なのに今日は気持ちが悪い。
「何が嫌なの?」
 強情なあたしを見かねてか、撫子は声を柔らげ、だけど同じ内容を繰り返し尋ねる。
 何が、嫌。
「嫌なこと、か……」
 呟き、思い浮かべる。
 本当に目を背けたいのは、撫子の目じゃなくて、この現実。
「あたし、認めたくないんだと思う」 
 多過ぎる氷をストローで刺しながら、今の自分に近い言葉を選んだ。それでも口から出した途端、違うと思った。
 現実はそこにあるもの。認めるとか認めないとか、そういう話じゃない。あたしが何をどう感じたって、変えられない事実だ。
 だからこそ、重い。振り払うなんて器用なことができないから、潰される。
 不穏な空気を感じたのか、撫子は何も言わない。認めるなんてセリフ、意味がわからないはずなのに、深く追及してこなかった。
 トレイには、新しいパイが残っている。食べないと冷たくなるのに撫子は手を出さず、視線を外したままのあたしを凝視した。真っ先に逃げを選ぶあたしと対照的な、よどみない視線。
 目を合わせるまで見続けそうな力強さに負け、視線を黒い瞳に合わせる。撫子は真顔。この機を待っていたかのように口を開き、そして。
「蘇芳のこと、好き?」
 ――あたしじゃ口に出せない想いをまっすぐ尋ねてきた。
 テーブルの携帯に視線を落とすと、ハート型のストラップと目が合う。
 はじめて出会った時、その本性を暴くため彼の遊びにつき合った。力一杯遊んで散財して、手元に残ったのはストラップ。透き通る瞳が、強く印象に残った。
 彼が彼自身を見失っている時は、世界が色あせていくようだった。友達でないと言われれば身が引き裂かれ、呼吸さえ辛い日々を過ごした。
 忘れもしない、戻ってきてくれた瞬間の喜び。誰かに自分を呼ばれても何とも思わなかったのに、彼の声に乗るだけで自分の名前を愛おしく感じた。
 目の動きも表情も、この体が勝手に覚える。自分が信じてきた自分なんて、彼の前では姿を消した。
 たったひとりに、ここまで狂わされてしまう。頭だけでも心だけでもない、体中を揺さぶる感情の源。全てを変えた、笑顔の似合うひと。
「……十六夜」
 撫子は、あたしの瞳に溜まる涙をずっと見つめていた。ひと雫こぼれ落ちたところで、あたしは小さく小さく、こくんと頷いた。

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