Long Story

記憶の欠片 No.2

 この際、知ってる人とか知らない人とかは関係ない。自分が突き飛ばしたという自覚はなかったけれど、椅子に埋もれたのは事実だ。
「ごめん! 大丈夫!?」
 一緒に騒いでいたクラスメートが唖然としていた。他の人たちの視線も体に突き刺さってくる。もちろん、気にしているわけにいかない。埋まった体を救済して手を差しのべたけれど、あたしの手を一瞬見ただけで取ろうとはしなかった。
 腰をさすりながら自力で起き上がる。
「ごめんね」
 行き場のない手をパチンとあわせ、立ち上がった男の子に再度謝った。
 制服の上着を脱いでTシャツ一枚になり、腕の隅々をチェックしている。ひじの周りが僅かに赤い。
「萱ちゃぁん。ひっどいなぁ」
「怪我してない?」
「大丈夫だけどさ。傷でもついたらどうすんの? お嫁にいけなくなっちゃうじゃない」
 体中をさすりながら軽い口調で返事をしてきた。面白くなかったけれど、ダメージがあまりなさそうな様子にほっとして、思わず笑みが溢れた。
「どこも怪我してなさそうだね」
 そんなあたしを見て彼は瞬きしたのち、何やら含んだ笑みを浮かべる。
「……なんなら確かめてみる?」
 試すように、そう言った。
「へっ?」とまぬけな声が出た一瞬の間。
 彼は着ていたTシャツを脱ぎ捨てた。ほどよく引き締まった色素の薄い素肌が目の前に現れる。
「俺の美肌。守られてる?」
 唖然。呆然。そんな言葉が相応しい。
 突然の出来事に開いた口が塞がらなかった。
 女の子たちの黄色い叫び声をよそに、妙なポーズを決め続けていて。
 何なんだこいつ。
 何なんだこの変態。
 こんなヤツ、あたしは知るかーーー!


 昼休みまで先生に聞いてみたり周りの様子を伺ってみたりして調べてみた。馬鹿みたいに明るいヤツだと、誰もが口を揃えて言っていたけれど、あたしが求めている『不審人物』という声は返ってこなかった。
 むしろ不審な点はゼロ。普通に入学して普通に授業を受けている高校生という印象のみ。
 反対にこちらが怪しがられた。何血迷ったことを言っているのか、毎日漫才みたいな会話していたのに喧嘩でもしたのか、と。
 要するに、あたし以外は彼のことを知っているらしい。
 とりあえず収集できたのは名前。蘇芳 十六夜すおう いざよい……全然ピンとこない。
「アンタ達どうしたの? 喧嘩でもしたの?」
 同じクラスの――本来、あたしの隣に座っていなきゃいけないはずの女友達、常磐 撫子ときわ なでしこもこんな様子だ。
 お昼の構内放送でアイドルグループの明るい曲が流れている。いつも適当に聞き流していたのに、今日はひどく鬱陶しい。
 空になったお弁当箱を包み、残ったお茶を一気に口へ流し込んでから、
「目の前で突然裸になる知り合いなんていない」
 キッパリと言った。
 他の人には濁したけれど、彼女には隠したくなかった。あくまであたしは正しいのだと主張したかった。
 撫子は長い髪をかきあげながら、マーブルチョコの筒を差し出す。手を広げると赤色と黄色のチョコが出た。
「あれは確かにビックリしたけど、ヤツっぽいじゃない。それにプールで裸くらい見るだろうし平気でしょ?」
「裸に免疫があるかどうかじゃなくて、裸になったこと自体が問題なの!」
 イライラしながらチョコを口へ放り込む。甘いカカオの香りが広がったところで、論点が違うことに気づいた。
「違う! 裸じゃなくて、覚えてないのが嫌なの……あたし、どうしちゃったんだろう」
「記憶喪失だ、とでも言いたいの?」
 それは、あたしも同じことを考えた。
 ここまでくると、あの人は始めから隣にいたと思うしかない。どれだけ癪にさわっても理不尽に感じても、一番すっきりする答えがそれだから。
 だけど、何故忘れてしまったのかという問題が浮上する。
 まさか隣の人を忘れるわけはないし、同じクラスになってから数ヶ月一緒に過ごした人でもある。だから記憶喪失を疑った。
「仮に記憶喪失だとしてもさ、あのバカのことだけ綺麗に忘れたってこと?」
「そう。それなんだよね」
 撫子は指にくるくると髪の毛を巻き付けながら、あたしも思いついたことを口にした。
 記憶喪失のイメージは、生まれてから今日までの記憶が消えさるといった、ドラマや漫画でよく見るものだ。自分の症状とは大きく異なる。
「それとも、忘れたと思い込みたくなるほど嫌なこと言われたってわけ?」
「え?」
「あたしだって、アンタとアイツが仲良く漫談してるのを見てきたんだから。それが突然知らない、なんて大騒ぎするんだから、派手に喧嘩したって思っても当然じゃない?」
「…………」
「話す気ないの? 何があったのか」
 黙り込んだまま残りのチョコにかじりついた。甘いはずなのに苦い。
「強情ねぇ……ま、生肌が間近で見れるだけでお得だと思うけど」
 諦めの溜め息と共にサラリと変な事を言ってのけた。十六夜に劣らない大きな瞳が、にこやかに笑う。

しおりを挟む

PageTop