Long Story

記憶の欠片 No.3

 このお姉さんはときどき変な事を言う。何がどうお得なのか、よくわからない。
「このエロスが」
 口の中に残った香りと味の余韻を貪って否定すると、
「エロスはいいぞ。エロスは」
 ――背後から、会話に割り込んできた馴染みのない声。
 振り返らなくても誰かわかる。出たな蘇芳十六夜。
「今朝はどうもゴチソーサマ」
 撫子が手を振りながら礼を伝えた。たぶん生肌の件だろう。
「あらん。チップでも貰えばよかった?」
 オカマっぽい声で答える蘇芳十六夜。
 どれだけ評判が良くてもどれだけ顔が良くても、絶対に顔を合わせたくなかった。謎が残っている限り、あたしにとってこの人は不審者なんだ。
 俯いたままやり過ごそうと決め込むと、引きずった上履きの音が机のすぐそばで止まった。机の脇に見える、大きな上履きと足。
「チップ変わりにチョコでどう? 弾んじゃうよ」
「いいねぇ。頂戴」
「ほら、アンタもヘソ曲げてないで、チョコ食べな」
 促されて顔を上げずに手だけ差し出す。溜め息と共に手に固いものが乗る感触がした。
 ひとつずつ摘みながら音を立てて噛みしめる。
「萱ったら、蘇芳のこと知らない、なんて言うのよ?」
 頑なに顔を上げないあたしに代わって状況を説明する撫子。彼女の中では喧嘩の延長で意地を張ってるように見えてるらしい。
 どうしてこんなことになったんだろう。どうしてあたしだけ知らないんだろう。
 昨日までこんな人いなかった。ケンカなんてやりようがないのに、友達にまで酷いと言われる。普通に謳歌していた高校生活が、日常が、崩れていこうとしている。
 この男の手によって。
「そんな風に言ってたんだ」
 頭の上でカラカラとチョコレートの流れる音が聞こえた。ヤツの手に報酬が渡されたんだろう、かじる音も聞こえる。
 もう他の人に聞く考えは残っていなかった。教えてくれそうな人はひとりだけ。
 無意識のうちに手を握りしめていた。指を解くと爪が手のひらにめり込んだ痕があった。
 思い切り強く握るほど悔しい思いをしているのに、体は言うことを聞かない。知りたい気持ちと知りたくない気持ちがぐちゃぐちゃと混ざり合って息ばかり詰まる。
「アンタ一体何したのよ」
「……しいて言うなら不法侵入ってとこかな」
「ハァ? アンタ夜這いでもしたの?」
 ニヤついた声の撫子に、筒で頭のてっぺんを突かれた。視界に余計なものを入れないよう、細心の注意を払って撫子を見る。予想通りニヤついていた。
「俺、こう見えても純情少年だからそんな邪道な道は選びませんよ。まずはほっぺにチューから」
「あら、お手て繋いでからじゃないのね」
「じゃあ、落とした消しゴムに手と手が触れ合うことから」
「何の話だ何の!」
 訳のわからん話に、思わず顔を上げてツッコミを入れてしまった。
 やたらと存在を主張する、大きな茶色い瞳とバッチリ目が合うと、
「やっと顔上げたな」
 そう言って、人差し指でおでこを突いてきた。
 痛っと身を反らせるあたしの反応が面白かったのか、大きな口で屈託なく笑う。ちょっとクセのある長い髪が、体と一緒に揺れた。
 そして、
「謝罪ついでにオゴるからさ、今日の放課後付き合ってよ。行きたいところあるんだ」
 なんてことを提案してきた。意味不明も甚だしい。
 どうしてわざわざ放課後を選ぶのか。謝るなら今だって十分可能じゃないか。
 撫子が自分たちを交互に見ながらやりとりを楽しげに眺めている中、正直な気持ちを乗せて軽く睨み付けてみると……何か含んだような笑みが返ってきた。
 喉元を冷たいものが通り抜ける。
 ……まさか。あたしが何も知らないことに気づいている?
 気味の悪さが一層増した。
 あたしだけが知らないのって――もしかしてわざと?


「いつになったら目的地に着くのでしょうか?」
 放課後。
 刑事に連行される犯人の如く、街にかり出された。腕を掴まれながら歩く体勢でも、問うべき問いは浴びせかけたけれど、一向に答えてくれなかった。
 行きたいところに行ったら答える、との返事だけ。
 大人しくついていくから腕を離してくれと訴え、ふたり並んで街を歩いた。
 本当に大人しくついていったけれど、内容が凄かった。呆れ返ると言ったほうがいいかもしれない。
 ゲームセンターでストラップ取るのに必死になったり、パチンコがやりたいと店に入ろうとしてあたしに止められたり、イチゴぎっしりのパフェを恍惚の表情で頼んでおきながら、最後まで食べきれない、としょぼくれたり。
 これじゃただの放課後デートじゃないか、と思った。
 人生初のデートが……こんなのって……。
 溜め息しか出ない。見た目は良いから悪い気はしないけれど、納得するわけにいかない。

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