Long Story

記憶の欠片 No.6

「マジ? どうやんの」
 途中の式をひとつずつ説明してもらいながら、ふと、数日前のことを思い出していた。
 あの日以来、何も変わることなく時間が過ぎていった。そして、十六夜から詳しい話を聞かされることもなかった。
 隣の席という条件や彼自身の人懐っこい性格もあり、気がつけば普段以上に充実した学校生活を送っていた。
 一緒にいるだけで楽しい。突然現れた知らない人という薄気味悪さは、どんどん胸の奥へ追いやられていった。割と静かだった景色なのに、視界の片隅に十六夜が映り込むだけで、賑やかで騒がしい日々へあっという間に塗り替わった。それが嬉しくて……何ともくすぐったい。
 今のところ、何が起こったかと言えばこいつに関する記憶がすっぽり抜け落ちているだけ。生活に支障があるわけじゃない。
 記憶喪失の線は消えている。十六夜はあたしが覚えていないことを知っているからだ。
 結局のところ、あたしの身に何が起こったのだろう。あたしだけ忘れさせられたってこと?
 催眠術じゃあるまいし。
「…………」
 パズルのピースがぱちりとはまるような感覚があった。
 ――催眠術。
 どうして思いつかなかったのだろう。
 あたしだけ知らないこと。十六夜はその事実を把握していること。
 様々な条件を踏まえると何もかもに合点がいく。
「……萱。聞いてないだろ」
 眉間にシャーペンのお尻をグリグリ押しつけられて我に返った。
 顔を上げると、呆れたような視線とぶつかった。
「ごめん。何も聞いてなかった」
 視線をノートに落とすと、いつの間にか角ばった文字で丁寧に解答されている。目でなぞらえてみるものの、いまいち理解できない。というか他のことがいっぱいで文字が頭を素通りする。
 あたしが飲み込めていないのに気づいてか、十六夜は再びペンを走らせた。
「ここのxが17ってことは、ここも同じことが言え……る」
 十六夜が途中の式を書いている最中、同じページにあたしも書きこんだ。
『催眠術でも使って、あたしの記憶奪ったの?』
 撫子が目の前にいるので口には出せない。でも、思いついたことを話してすっきりしたかった。
 催眠術。
 あたしがかけられているのか、他のみんながかけられているのか。
 二択ではあるけれど、恐らくあたしだけが術にかかっている。だって、あたしひとりと他のみんなじゃ、労力が違いすぎる。
 十六夜はあたしを横目でチラッと見た後、書き込みの下に何か追加した。
『(`・ω・)』
「わかるかっ!」
 何で顔文字! しかも『正解』なのか『不正解』なのかどっちだ!
 あたしの反応に満足したのか、笑いを殺しながら続きを書き込む。
『(`・ω・)NO!』
「……外れってことか」
「残念でした」
『ヒントくれ!』
『なし! いつか話す!』
 いつかっていつだ。
 口から出かけたけど無理に飲み込んだ。そっと撫子の表情を伺うと、すでにケーキを食べ終わっていて、ファミレスのメニューを真剣に睨みながら吟味していた。あとどのくらい食べる気なんだろうか。
 財布の中を頭で数える。絶対十六夜にも払わせてやる。
 今度は恨みがましい視線を込めて十六夜に目をやった。あたしとのやり取りを大雑把に消して、勉強の続きに取りかかろうとしていた。
 その時。
 文字を書きかけたペンが止まった。窓の外を眺めている。
 何か探しているような素振りにあたしと撫子も釣られて外を見たけれど、傘を差す人々が街を行き交うだけで他には何もなかった。
「誰かいた?」
「ごめんごめん、外じゃなかった」
 苦笑いしながら窓際と反対の方向を指したので、あたしと撫子は同時に店内へ顔を向ける。
 うちの高校とは違う灰色の制服を着込んだ人が、忙しそうに働くウェイトレスさんに促されて自分たちのテーブルへ近づいていた。
 赤茶けた髪にキレ長の目をした男の子。
 彼はこちらを見つけるなり、にこやかに手を振った。
「十六夜さん、探しましたよ。こっちくる時は声かけてくれれば良かったのに」
 どうやら十六夜の知り合いらしい。
「誰?」
溝萩 邪羅みぞはぎ じゃらと申します。よろしくどうぞ」
 丁寧な声色ではじめまして、と握手を求めてきた。差し出された手をそのままにさせるわけにいかないので手を重ねる。十六夜は、その光景を見て不思議そうに呟いた。
「何でこんなとこにいんの?」
「だから、探してたんですよ。電話したんですから」
 咎める口調に、十六夜は隣に置いたカバンから携帯を取り出して確認すると呆れたように邪羅さんを睨んだ。
 この人と約束でもしていたのかな。
「無理についてこなくても良かったのに」
「いや、大丈夫」
 そうは言っても。

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