Long Story

恋の欠片 No.13

 立体感のない世界。自分の存在自体が変だと、そんな囁きが聞こえてきそう。
 ここが……魁の中だと言うの……?
 口に出さず、一瞬だけ思考を巡らせた。だけど。
「そうだ」
 すぐ側で音がした。過去一度しか会ったことのない男の人の声。
「魁?」
 肩越しに振り返る。誰もいない。
 あごを上げて空を仰ぐと、当然のように無色でだたっぴろい空があるだけだった。
 そもそも、物の形なんてどこにも見受けられない。そんな場所で、ふと視線を落とす。
 体を支えている手の先……透き通った黒いゼリーの中で、あたしのとは違う腕が向こう側に伸びていた。
 ……まさか。
 恐る恐る自分の手をどかすと、真下に手の平が見えた。
「わっ!」
 何これ!?
 驚いて咄嗟に飛び退こうとしたけれど、こうも柔らかいと簡単に立てるはずもない。見事にバランスを崩して尻餅をついてしまった。
 弾力があるからか、体が少し跳ねる。そして、痛くない。
 散々感触を確かめたゼリーを、手の平でひと撫でしたあと、ゆっくり、ゆっくりと手の平を覗き込む。
 魁。
 信じられないことに、ゼリーの中で水平に埋まっていた。
 黒いと思い込んでいたゼリーは透明度が高く、改めて眺めてみると腕以外の輪郭もはっきり見えた。綺麗な黒髪も健在だったけど、海に混ざってわかりにくい。色のついたガラス越しに対面しているようで、肌の白さが不気味に感じるほど浮いて見えた。
「ここは魁の世界なの?」
 鏡合わせの体勢で、問いかける。
「これが全てだ」
 抑揚のない平坦な声が脳内に直接響く。
 ゼリー越しなので表情がよく読み取れないけど、口が動いている様子は見られない。そう言えば、さっきも少し考えただけで音がした。
 そこから考えると、この声って。
「直接語りかけている」
 回答が返ってきた。
 イヤホンを通したように声が耳の中に直結している。遠くでしか聞いたことのなかった魁の声が誰よりも近い位置にいて、少し居心地が悪い。
 そして、魁と対峙した時には必ずハートの鼓動を感じたのに、今は無反応。これほどそばに寄ったのは初めてなのに、何故動かない?
 多少なりとも違和感を覚えたけど、本来の目的から反れていることを思い出す。騒がしい気持ちに目を背け、真面目に見たことがなかった瞳を直視した。
「魁……一体、十六夜に何したの」
 彼に届いているはずの声は、黒い海に吸い込まれるだけ。重なり合っている手の先は、沈黙したまま動かない。
「ねぇ答えて。十六夜に何が起きてるの?」
 些細なことでもいい。今の十六夜を知る手がかりを得ないと、あたし帰れない。指先に力がこもり爪は真っ白になった。
 ……魁は十六夜を刺した。元々はあたしを、ハートを手に入れようとして出た行動だった。
 あたしを狙っている。敵と呼んでも違和感さえ起きない人が、はたして自分の問いに答えてくれるのだろうか。
 今更ながら、自問自答していた。魁に引き寄せられるまま、この世界に飛び込んできたものの、彼に回答する義務はない。無駄足――そんな可能性が脳裏をよぎった瞬間、魁は無表情のままあたしの意識に混ざり込んできた。
「自分の目で、何が起きているのか見たんじゃないのか」
「見たから聞いてるんでしょ」
 自分の顔が漆黒の境界線に映り込む。ひと目で焦っていると理解できる、歪んだ表情。
 そんなあたしへ、
「では何故だ。何故アレはアイツじゃないと言う」
 魁は問う。
「何、それ」
 思わず聞き返したところで、寒気がした。
 邪羅さんから提示されたヒントを元にしてここまで来たのに、ふりだしに戻らなければならないの?
 首を強く振ると、不釣り合いな香りが散った。
「あたしは……」
 続きそうだったのは言い訳の言葉。後戻りしないと決めた直後なのに、希望が断たれそうになると逃避の道を選びたくなる。
 いったん魁から目を背け、遠くで線引きされている彼方を見つめた。手を差し伸べると凹凸さえ感じそうな、くっきりとした境界線。
 ここに曖昧さなんて存在しない。白か黒か。ゼロかイチか。無か有か。
 曖昧なのは、自分だけ。あたしは唇を噛み締め、魁を必死に見つめた。
「あなたの作った錐に刺されてから、十六夜は変わった。だったら」
「それがきっかけだったとしても、オマエはアレを否定するのか? 必要ないのか?」
 首を傾げたあたしが映った。
 原因は魁にある。魁自身から遠回しに証明されたけど、それよりも十六夜自身の変化について、妙に気にかけている。
「何が言いたいの?」
 ……必要ない? 十六夜が必要ないのなら、あたしはここに来ていない。
 魁が口にした理由を考えてみたけれど、わからなかった。魁とあたしが見ていること、考えている何かが明らかに食い違っている。
 それを決定づけるように、魁はさらに叩き込んでくる。
「オマエの思うアレがアイツでないなら、そんなのはアイツではない、とでも言うのか?」
 魁は聞く耳を持たないのか、悲し気に顔を歪めて続ける。
「嫉妬や嫌悪で覆われたアイツはいらないと……そういうことか?」

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