Long Story

恋の欠片 No.16

 薄い服越しに、十六夜の感触が全身に染み込んでくる。温かなその熱にのぼせてしまいそう。
 浮かされないように力を込めて抱きつくと、頭に浮かんできたのは愚かな自分。そして、ずっとずっと思ってきたのに伝えてこなかった気持ち。
「ありがとう。十六夜」
 感謝しか、出てこない。
 大事にしてくれた、あたしを。
 大切にしてくれた、ハートを。
 あたしとハートなら、きっと彼の苦痛を背負える。十六夜自身を躊躇う理由なんか、どこにもないんだ。
「ありがとう……十六夜」
 何度だって、繰り返して言える。
 何度言ったって、この気持ちを伝えきるには到底足りない。
「俺が君の側にいるのは仕事のためだ。感謝しなくていい」
「わかってる」
 そんなことはわかっている。
 でも、はじめから否定し続けたあたしを優しく受け止めてくれたのは、他の誰かじゃない。
 仕事のためだけなら、そんなの無視して全部説明すれば良かったのに、十六夜は頑なにあたしを庇った。優しく見守ってくれた。
「離してくれないか」
 あたしの手首に十六夜の手が遠慮がちに触れた。抱きつく力をさらに強めて、彼の背中におでこを擦りつけながら大きく首を振る。
「離してくれ……」
「嫌だ!」
 あたしの手をほどきにきた十六夜へ、最大限の抵抗を見せる。
 触れていたいと、素直に思ったから。足りない言葉を補うには、こんな方法しか知らなかったから。
 ずっと間違えたまま歩いてきた。仕出かした間違いは修正できないけど、これからの十六夜にしがみつくことなら、自分にだってできる。
「離せ! 頼む……頼むから」
 懇願する声と一緒に彼の背中が震え出す。押し殺すような涙声が耳に届いてきた。驚きのあまり顔を上げると、俯いた後ろ髪の揺れに気づいた。
「十六夜?」
 半ば無意識に名前を呟く。震える肩は次第に大きくなり、いつしか手首を握りしめている手は離れていた。
「……君と同じ時間を過ごすたびに、俺とは違うものを感じていった」
 離れた手は十六夜の顔を覆う。指の隙間から、苛立ちや怒りとは異なる暗い感情が溢れ落ちた。
「生きているということ。人間だということ。同じように感情を持つ者でも、その実態はまるで違う。俺とは……全然違う」
 あたしは抱きしめていた腕を静かにほどき、後頭部から彼の顔ごと腕をまわした。むき出しの素肌に彼の涙がどんどん染みていく。
「近づきたいと……知りたいと思うほど、俺との距離を感じた。その気持ちは魁に襲われたあの日を境に、爆発するように増えた」
 十六夜の細い声は、なおも続く。
「俺は人間じゃないと知った君が、俺をどんな風に見ているか。それを知るのがとても怖くて」
 それは、溜まった感情をただ流していくように吐き出される。
「自分という存在も、ここに来るときに作ったこの体も、全てが気持ち悪くなっていった」
 声に出せば出すほど自分を痛めつけてしまいそうな、言葉の羅列で。
「触るだけで汚してしまうんじゃないかと、そう感じた」
 次から次へと留まることなくあふれて、止まらない。
「そのうち仕事なんてどうでもよくなった。君を普通の高校生に戻すということは、俺は叡智に戻らなければならないということ」
 あたしは天井を仰ぐ。頬を滑る冷たい涙が、十六夜の髪を濡らしそうになったから。
「自分が憎くなった。忌々しかった。俺が人間だったらどれだけ良かったか……『蘇芳十六夜』は本物じゃない。俺はどうやったって『蘇芳十六夜』という人間にはなれない!」
 濡れた手であたしの腕を振りほどいて、ぐしゃぐしゃになっているだろう顔は俯いたまま、あたしに向き直って体を離す。
「俺は十六夜が羨ましい。十六夜になりたいよ。本当に……本当に」
 こんなに暑いのに、寒そうに自分を抱く十六夜。痛々しいその姿は、あたしに触るなと訴える。拒んでくる。
 だけど、あたしはそれを無視した。十六夜がはじめて見せた暗い本音ごと、彼の顔を両手で包み込む。
 十六夜の手よりひと回りも小さなあたしの手。彼を支えるには何が足りないんだろうと思ったけれど、そんなのは問題じゃなかった。
「あたしはあなたがいい」
 簡単な話。探した答えはこの手の中にある。
「あなただったから、ここまで来れた」
 十六夜のあごが上を向く。互いの瞳が間近で交錯した。
「あなたじゃなきゃだめだった」
 十六夜にとって一番近い人間はあたしで、あたしにとって十六夜は日常の一部になった。どちらも互いが求めあっていたもの。
「十六夜じゃなきゃだめだったの。人間だとか人間じゃないとか、どうでもいい。あたしは……あなたがいい」 
 十六夜の気持ちに行き場がないというのなら、ここに作る。そんな気持ちを込めて断言した。
 驚きを宿した瞳があたしを捕らえる。泣きはらしていて随分赤い。親指で滴る雫を拭った。
 そして、何に突き動かされたのか、よくわからないんだけど。
 自分の顔を彼に寄せ、そのまま唇を重ねた。

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