Long Story

恋の欠片 No.2

 首が喉を締めつける。取り込むわけでもなく突き放すわけでもない言葉は、あたしを落胆させた。ものの一瞬で空気が沈み、朝の慌ただしい足音が体にまとわりつく。
 透き通った瞳には感情が全く浮かんでいない。口にしなくても無関心だというのがはっきりと伝わってくる。
 あたしたちは互いに見つめあったまま黙り込んだ。
「マジかよ」
 男の子が気まずそうに呟くと、十六夜は何気なしに振り向いた。
 そして、とどめとばかりに言い放つ。
「マジも何も俺たち隣同士なだけだし、喧嘩する理由ないじゃん」
 隣同士な『だけ』。会話の一部分がやけに強調して聞こえた。
 たったの二音。だけど、この上ない二音。
 単純だからこそ、十六夜が何を伝えたいかが集約される。それは、彼自身が昨日の瞳を肯定したこと他ならない。
 見間違いじゃなかった。幻なんかじゃなかったんだ。
 彼にとってあたしはもう……友達じゃない。
 制服が肌に張りつく季節なのに寒気を感じる。立っているのがやっとな状態の中、あたしの背後で人の気配がした。
「何よそれ」
 低い声で威嚇したのは、さっきまで遠くにいた撫子。腕を組みながら十六夜を睨みつけている。
「この前の仕返しのつもり? アンタまで『こんな奴なんて知らない』なんて言い出すんじゃないでしょうね?」
「初対面じゃないんだから言うわけないし。あぁ、でも俺は言われたんだよな」
 十六夜は撫子の視線を真っ向から受け止めて、皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。
 男の子たちは不穏な空気に耐えられなくなったのか、静かに去っていく。
「この子は言ってもいいけど、アンタが言っちゃだめでしょ」 
「どんな差別だよ」
「とにかく、だめなものはだめ」
「あのなぁ」
「もういいよ。撫子」
 今にも噛みつきそうな撫子の腕を掴んで首を振る。
「喧嘩してないのは本当だから……だから大丈夫」
 今日何度目かの大丈夫を口にして、あたしは小さな苦笑いを返した。
 だけど返せた笑顔も長く保てなかった。撫子の痛ましいものを見る視線に、精一杯の強がりが脆く崩れ去る。
 彼女は溜め息を吐いたあと、机の上に出ていた日本史の教科書を手に取り十六夜の頭を力任せに叩いた。
「何すんだ!」
 鈍い音と共に抗議の声があがってきたけれど、撫子は一切耳を貸さない。
 そして、
「萱。あたしの席に座って。今日はあたしが『八重樫萱』やるから」
 目が座った状態で突拍子もないことを言い出した。
 提案内容の意図が汲み取れなかったので、彼女の顔をまじまじと見返した。不機嫌そうに黒髪を掻きあげた撫子は、あたしの椅子に手をかける。
「席を交換するの。こんな席に座る必要ないから」
「いや、テストあるから交換するわけにいかないし」
 あと数時間後で数学の小テストが行われる。邪羅さんから特訓を受けた、例のテストだ。
 撫子は毛先を指先に巻きつけて、面倒そうにあたしをあしらう。
「つべこべ言わないの。ほら! あっち行った行った!」
 どうやらあたしが口を挟む隙間すらないらしい。というか、こうなった撫子には手がつけられないことを重々承知している。
 痛そうに頭をさすっている十六夜に顔を向けた。こんなに近いのだからあたしが顔を見ているのは気づいていると思う。だけど、彼はこちらを向こうともしない。
 あたしは沈んだ気持ちのまま自分の席を離れ、撫子の席へ足を向けた。


 常磐撫子の名前をあたしの頭脳で汚す訳にいかなかったから、テストの時間だけは元の席に戻らせてもらえるようお願いした。テストは思いのほか手応えがあったけど、撫子が得るだろう点数には到底届かない。
 脳裏で微笑む邪羅さんに両手をあわせる。自分の実力だけならこれだけの充足感は得られなかっただろう。
 十六夜の話と一緒に掃除の時間に伝えると、撫子はごみ箱を抱えて笑った。
「確かに喧嘩っていう風には見えないね」
 やはり撫子は鋭い。どれだけ取り繕っても、簡単に見抜かれてしまう。
「何があったか、話せる?」
 紙くずをごみ袋に放り込みながら、彼女は当然の疑問を口にした。あたしは支えていたごみ袋の口を縛って天井の蛍光灯を仰ぐ。
「原因が思い当たらなくてさ」
 収集所にごみを捨てるために歩き出したけれど、十六夜のことを考えると必然的に足取りは重くなった。
 十六夜の態度があそこまで変わる原因がわからない。もし喧嘩だったら、あたしにだって少しは言いようがあった。謝ることだってできる。
 普通の十六夜と今の十六夜。境目だと考えられるのは魁の錐だけだ。あたしが攻撃を受けるはずだった、真っ黒い錐。
「えっとね……結果的に転んじゃったけど、下手するともっとひどい怪我になりそうだったんだ。それを十六夜が助けてくれた」

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