恋の欠片 No.7
邪羅さんは小さく笑って、空のグラスを弄びながら言う。
「以前、十六夜さんが妙に楽しそうにしているので質問をしたんですよ。『やりたいことでも見つけたのか?』と」
「やりたいこと?」
「ええ。何て言ったと思いますか」
ぽんと浮かんだのは、嬉しそうに甘いものを食べるシーン。撫子とふたりで最新のお菓子について語り合っているのを見たことがある。
十六夜のやりたいこと。
彼なら乙女みたいな願望を言いかねない。
「お腹一杯ケーキが食べたい、とか?」
あたしの答えを聞いて邪羅さんは吹き出す。肩を揺らせてこめかみに手を当てた。
「はずれですが、それもやりたいことのひとつでしょうね。さすが、良く理解してらっしゃる」
「あんまり嬉しくない……」
「正解は『萱のお嫁さんになりたい』でした」
思考が完全に止まった。
予想を超え過ぎて、思わず口にした水で咳き込んでしまう。
「はぁぁぁぁ!?」
「お嫁さんというのは女性を指す言葉なのに、叡智と呼ばれし者の発言とは思えませんね」
不服そうにグラスを置く邪羅さん。手を挙げて店員さんを呼び止め、飲み物の追加を行っていた。
追及する箇所について横やりを入れようとした時、花嫁というキーワードから涙で緩んだ視界が脳裏をよぎった。
魁から攻撃を受けた後のこと。立ち去る十六夜しか印象に残っていなかったけれど、思い起こしてみれば違う出来事があった。
都合の良い記憶をでっち上げているだけかもしれない。でも、憎しみのない十六夜の笑顔が、彼自身のセリフを蘇らせる。
『俺は萱の笑顔が――萱が好きなのに、困らせてばかりだ』
あたし、あの時、告白されてた?
ほんの数秒前まで忘れていたというのに、甘い声が耳の奥に響いた瞬間、抱きとめられた腕の感触が肌に戻る。
背中に触れた指の長さまで鮮明に思い出し、みるみるうちに顔が火照り出した。
「どうかしました?」
「えっ!」
邪羅さんの問いかけに驚き、声が綺麗に裏返った。
疑わしそうな目を向けられると同時に、店員さんが追加した飲み物を持って現れる。落ち着かないあたしは、邪羅さんに促されるままコーヒーを手にした。
唇をつけると苦みを伴う香りが口中に広がる。温かな熱が喉から体の芯まで伝わり、焦るばかりだったあたしの気持ちをじんわりと静めてくれた。
「落ち着きました?」
「……うん」
「じゃあ、続きを話しましょうか」
邪羅さんはストローでアイスティーをかき混ぜ、氷の動きを追った。ひと口含んでから話を切り出す。
「僕がその話を聞いたのは、怠惰や魁に襲われる少し前です。そして、誤摩化さずに僕に言ったということは、あながち冗談でもない。今の十六夜さんの状態と比べて、明らかに矛盾していますよね」
「矛盾?」
「もし、萱さんのことを友達でないと思っているのなら、お嫁さんになりたいなんてふざけたことは言わないはずです」
それが、邪羅さんの言う矛盾。言動と行動の辻褄が合っていない。
「態度が豹変する直前に魁に攻撃されていたとしたら、攻撃以外に何かあった可能性があります」
その言葉に、どんな意味を含んでいたのかは嫌でも読み取れた。
「魁が……攻撃以外に何か仕掛けてたってこと?」
「調べてみる価値はあります」
……胸がざわざわと波を立てる。
十六夜がおかしくなった原因が魁だと言うのなら、もしかして。
「十六夜は……元に戻るの?」
淡い期待を抱き、声を震わせて尋ねたら、邪羅さんはこくりと頷いた。
「おそらく戻せるでしょう。ただし、僕も魁に関しての情報はほぼゼロです。同じ空間にいても居場所さえわからないくらいですから、実態がまるで掴めない。そこで――あなたの出番です。萱さん」
どきり、とした。
「あなたには魁の居場所がわかる。この特性を生かして、今度はこちらから魁を探しに行きましょう」
宣戦布告ですよ。
邪羅さんはそう言って、あたしを指差した。
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