Long Story

真実の欠片 No.16

 わき目も振らず無我夢中で走る。後先のことなんて何も考えずに十六夜の背中だけを目指していたら、
「止まれ」
 あたしと十六夜の間に影が落ちた。漆黒の剣が行く手を阻む。
 ――魁。
 剣を大きく振りあげ、あたしに遠慮なく斬りかかる。
 状況の把握に時間を有し、避けることすらできないでいたら、誰かに腰を引っ張られた。体が宙で折れ曲がり、間一髪で剣を免れる。犠牲になった前髪が数本舞い散るのを見届けると、助けてくれた人物はあたしを軽々と肩に担いだ。
「邪羅さん!」 
 走る振動が彼の肩からお腹に響く。どんどん離れていく魁を眺めながら、あたしは灰色の背中を慌てて叩いた。
「邪羅さんどうしよう! 十六夜が怠惰の腕を!」
 危険が去ったと判断したのか、邪羅さんは足を止めてあたしを下ろした。
「前代未聞の事態です。まさか怠惰の腕を消滅させるほど暴走するなんて」
 険しい表情で槍を出現させて地面に打ちつける。苛立った音が辺りに散らばった。
「萱さんも、一歩間違えれば命を落としかねないことを自覚してください。魁があなたを……」
 言いよどんだ直後、胸が突然騒ぎはじめた。
 邪羅さんは唇に人差し指を押し当てる。
「静かに。魁がいません」
 澄みきった空間に不純物が混ざったような空気のズレが、どこかへ消えた。
 こめかみに手を当てて探っていると、不純物が確かな輪郭を伴ってあたしの意識をかすった。その位置は、邪羅さんの背後。
「オマエは邪魔だ」
 邪羅さんは即座に体をひねったけれど、遅い。魁に蹴り上げられ、時計台に激しく叩きつけられた。
 喉を引き裂く悲鳴。叩きつけられた体は重力に従って落下する。
 沈黙が訪れた空間は小さな音を膨らませる。あたしへにじり寄る足音を肥大させ、人の崩れる音を消し去った。
「ハートはオレがいただいていく」
 これで終わりだとばかりに切り捨てた。
 その手に剣はなく、後退りするあたしに向けているのは両の手のひら。中心から黒い粒子が吹き出して幾多の錐と化した。
 怠惰の針を彷彿とさせる錐。だけどハートが助けてくれたあの時と違うと本能で感じた。
 つまり、助かる手立てはどこにもない。
「恨むならハートを恨め」
 ……もう、ダメだ。
 錐の影があたしを覆っていく。見るのが恐くて目を固く瞑ったら、
「萱!」
 求めてやまない腕に抱き止められ、そのまま地面を滑った。あたしを狙っただろう錐が、大地にぶつかる音が届いてきた。
「十六夜!」
 大きな胸の中で目を開けると、至近距離で微笑む十六夜の顔があった。
「無事、だな? 良かった」
 力なく笑うその顔に、憎しみなんてなかった。ただただ優しい、いつもの十六夜の笑顔しかなかった。
「怯えさせてごめん」
「あたしこそごめん……弱くて、ごめん」
 急に顔をしかめる。呼吸が荒い。
 原因を探るため体を起こすと、彼のふくらはぎに錐が突き刺さっていた。
「大丈夫!?」
「俺は萱の笑顔が――萱が好きなのに、困らせてばかりだ……うっ!」
 涙で視界が緩んだまま槍に手を伸ばした――その瞬間。
 何の前触れもなく視界が揺れ、目の前の十六夜が消えた。そして、濃度の高いざわめきが溢れ出す。子供たちのはしゃぐ声や買い物帰りの人の声。ありとあらゆる音が突然耳に入ったものだから、体が前のめりになった。
 そこでようやく異変に気づく。さっきまであたしは、床に倒れ込んでいた。その体がどうして前のめりになるのか、どうして立っているのか。
 辺りを見回し人々が動いているのを確認して、時間が流れていると理解した。
 ――元の世界に戻ったの?
 周囲に視線を巡らし魁や怠惰の姿がないと確証を得た途端、力が抜けた。同じ場所なのに、何だか空気まで生き返った気がする。
 あの状況で解放された理由はわからないけれど戻ってこれたんだ。十六夜に話を聞いて、一体何が起きているのか教えてもらおう。
 今度こそ、全部聞くんだ。
 そう決心した矢先。隣で時計台にもたれていた十六夜が、無言のまま歩き出した。
「十六夜? どこ行くの?」
 彼は足早に立ち去ろうとする。
 ……おかしい。さっき十六夜は、錐に足を刺されたはずだ。どうしてこんなに早く歩けるの?
 離れて行く足元に目を凝らすと、驚いたことに無傷だった。
 そしてもうひとつ驚いたのは、振り返った十六夜の冷たい瞳。
 どうしたのと声をかける間を与えてくれないまま、彼は人混みの中に消えていった。
 あんな目、あたしは知らない。
「十六夜……?」
 わなわなと指が震える。
 何かとんでもないことが起こった。予期さえしていなかった――最悪なことが。
 呆然とするあたしの肩を邪羅さんが叩いたのは、もうしばらくたってからのことだった。

真実の欠片編 End

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