Long Story
Top
Long Story
Short Story
Illust
About
Link
光の欠片 No.14
前のページ
小説トップ
次のページ
黒く、長く、艶やかな、彼女が何よりも大切にしていた髪。両端が黒いゴムでくくられていて、ほどけないようになっている。
「見ればわかりますが、どうしてお持ちになっているのですか」
「何も知らないままこれを捨てられるほど器用じゃないから。あたしは」
じっと邪羅さんを見る。毛先が肩で緩やかに波打った。
「あの日から長い髪を見るのが辛くなった。アンタが褒めてくれた髪だから、ね」
手の中でうなだれる髪に目をやり、誰に伝えるでもないような独り言みたいに呟く。
「長い髪が視界に入らなければ、この辛さは消えるんじゃないかと思った。だから……切った」
あたしは伸ばしたことがないから想像にすぎないけれど、髪を切る行為は儀式なんじゃないかと思う。やり場のない気持ちを、髪にのせて別れを告げるんだ。
「だけど後悔しか残らなかった。切ってる途中も、涙しか出なかった」
撫子の場合、髪の重みは普通の人よりも深い。それにハサミを入れるのだから、自分の体を傷つける意味合いと同等になるんだろう。
それなのに涙しか出てこなかったとしたら、髪にこもった気持ちは……さよならを拒んでいる。
「この髪とあの夜にこだわる自分が嫌いだった。暗くて、鬱々として、ずっとぐずぐず悩んで。そんな自分なんて、認めたくなかった」
撫子は気持ちを切り替えようとしたんだ。だけど髪を切り落としたことで、一層深い気持ちを気づかされたんだ。
髪の大切さよりも超えた、気持ちに。
あたしは胸の前でぎゅっと手を固く握った。
苦しかった。切り落とした髪を見て呆然とする撫子を想像するだけで、いたたまれなかった。
でも、あたしが抱える気持ちと撫子の表情は全然違う。彼女の表情から見て取れるのは、決して迷いではなく、何かしらの答えが固まっている、ということ。
「今のアンタ見てたら、そんな自分どうでも良くなったわ」
「でしたら、そろそろ僕を解放していただいてもよろしいですか」
「悪いけどそういうわけにいかないの。どうしてあたしが、わざわざこれを手にしてると思う?」
「僕に渡す気ですか?」
「残念。正解はこうしたかっただけ……!」
撫子は手を大きく振りかぶる。同時。何かの音が風を切り裂き、弾けた。
空の青。樹々の緑。目に強く訴えてくる濃厚な色彩に混ざり込んだのは――色を持たない黒。邪羅さんの頬に叩き付けられた撫子の髪が、風に煽られた瞬間だった。
髪は今日一番の強風に巻き上げられ、地面に落ちることなく吹き飛ぶ。その様は、大きな入道雲に吸い寄せられていくようで。
一本もここに残せない、置いては去れない、そんな意志を感じた。
「痛いですね……一体何を」
「いいかげん目を覚ましなさいよ」
抗議に被さったのは、刺を含んだ言葉。体の芯から透ける怒りに思わず息を飲む。顔にも仕草にも表れていない分、一層際立つ感情を見て、撫子へ伸びかけた手がぴたりと止まった。
聡明な彼女のことだから邪羅さんの異常状態は把握しているはず。発言内容に不自然な点はないけれど、行動が理解できなかった。
真相を知ること。髪を叩きつけること。目を覚ますこと。それらと怒りが全く結びつかない。
邪羅さんも発言の意味を掴み損ねたのか、瞳を伏せて彼女を観察していた。答えが見つからなかったらしく、頭を振って当たり前の発言をした。
「この通り、ちゃんと起きています」
「じゃあ、何で死人みたいな顔してんのよ」
「死人って」
「あたし絶対許さない。そんな顔してるアンタは、絶対に許さない」
そばに寄るだけで背筋が凍る、そんな悲痛な思いを吐き出す撫子。拳が震えるほど自分の手を強く握っていること、彼女は気づいているのだろうか。
宙に浮いたままだった手を、再び撫子の腕へ伸ばそうとした。けれどあたしの手は、またも行き場を失うことになる。彼女が邪羅さんの胸元を掴み上げたからだ。
「敵わないって……絶対に追いつけないって思ったの、アンタが初めてだった。自分より賢い人なんていないって、心の底で優越感に浸ってきた」
投げられる言葉。独白だった。全身から止めるなというメッセージが漂う。
「大した努力しなくても頂点に立てた。周りがどれだけがんばっても手に入らないものを……あたしなら手に入れられるって。あたしは誰よりも優秀なんだって」
邪羅さんは、されるがままだった。
目前の撫子を瞳に写しているだけのように見えた。力いっぱい服を掴む撫子がいなければ消えてしまいそうなほど、彼の存在に現実感が伴わなかった。
それこそ、訴え続ける撫子とは対照的に。
「アンタに会って全部ひっくり返された。何もかも自惚れでしかなかった。自分の視野がどれだけ狭かったか!」
声を荒げる撫子。心のかたまりをぶつけて、邪羅さんを激しく揺さぶる。
「世界がこんなにも広いって、アンタが教えてくれたのよ!? なのに……どうしてアンタがそんな顔しなきゃなんないのよ!」
「…………」
「一体どんな理由であんなことしたか知らないけど! それが理由でそんな顔してるなら、あたしなんか!」
そして、続いた言葉に言葉を失う。
不意打ちだった。
「あたしなんかとっとと忘れて! 前に進んでよ!」
意識が体から引きずり降ろされる。
驚いた、なんて言葉じゃとても形容できないほどの衝撃があった。
――『忘れて』
反響する。
頭を振っても、驚く十六夜の顔を見ても、止まらない。
――『忘れて』
聞き間違いじゃないかと自分の耳も撫子も疑ったけど、頭で響き続ける良く知った声は考えを根本から否定する。
しおりを挟む
前のページ
小説トップ
次のページ
感想:
面白かった
そこそこ
いまいち
つまらない
続きを書いて
一言:
PageTop